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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜
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#68 武蔵野吉祥七福神めぐり2018 〜新旧の交通軸に沿う町並みをゆく〜 (武蔵野市・三鷹市) 2018年1月6日、新春の穏やかな陽気の下のJR吉祥寺駅を訪れました。東京都下の郊外エリアを颯爽と直線で抜ける中央線沿線は、地形的には荒川と多摩川に挟まれた広大な武蔵野台地の上を進んでいきます。高架上の車窓から望む沿線の風景は見渡す限りの住宅地域で、台地を刻む河川がつくる緩やかな谷地形ものみこみながら、首都東京の郊外エリアの趨勢を存分に感じさせます。都内でも有数の繁華街を形成するJR吉祥寺駅の北口からは、南側に2014年に完成した「キラリナ京王吉祥寺」のビルが、直線的な駅舎の上に屹立していました。パルコの前を通過して高架下をくぐり、坂を下って井の頭恩賜公園へと向かいました。
この日は「武蔵野吉祥七福神めぐり」のコースを辿りながら、吉祥寺駅周辺の地域を巡ります。豊富な湧水量から江戸に生活用水を供給する神田上水の水源ともなっていた井の頭池は、穏やかな青空そのままのやわらかな水を湛えて、周囲の木々にそのしなやかさを届けているように感じられました。ウォーキングの参加者を含めてたくさんの参詣者が押しかけていた弁財天のお社を訪ねながら、藩政期さながらの豊かな自然を残す園内を散策しました。落ち葉が敷き詰められた地面から可憐な水仙が芽吹き花を咲かせる園内を西へ抜けて、吉祥寺通を進みますと、拡大する水需要を受けて神田上水の後の時代に開削された玉川上水の涼やかな流れへと行き着きます。川に架けられた橋の名前は「萬助橋」で、その名はこの橋を架けた下連雀村の地主渡邉萬助に由来します。しばらく玉川上水沿いの道を進み、JR三鷹駅前までに達してからは、再び中央線沿いを西へ歩を進めました。 三鷹車両センターの南を通り、武蔵境通を南へ。武蔵境駅近くの住宅地の中に、「大国主命(だいこくさま)」と「事代主命(えびすさま)」を祀る杵築(きづき)大社が鎮座していました。明治期の地勢図にもその存在を確認することのできる古社は、周囲が一面の畑地から現代都市の只中へと姿を変えても、豊かな社叢の中に社殿を埋めていまして、木々の上に突き抜けるように見えるマンションの建物がそんな時代の変遷を物語っているように感じられました。中央線の北側へと進み、新武蔵境通り沿いまで達しますと、建物の密度は徐々に小さいものになって、住宅地の間に畑も多く認められるようになります。「ぎんなん橋」で玉川上水を渡り、「グリーンパーク遊歩道」の小道を歩きます。この遊歩道は現在の武蔵野中央公園の場所に位置していた旧中島飛行機武蔵野製作所への引込線がもとになっていて、戦後の短い間は同公園に開設されていた「グリーンパーク野球場」へのアクセス線が営業していた時期もあったようです。遊歩道の名前はその名に基づくもので、さらに遡るとその呼び名は跡地を接収していた米軍による通称でした。
かつての五日市街道を継承する都道7号(旧道)につきあたってからは、東へ旧道筋を進んでいきます。明治期の地勢図を確認しても、この五日市街道が田園風景の中を進み、その沿線に町場が形成されてた様子を窺い知ることができます。寿老人や毘沙門天を祀る延命寺は、1670(寛文10)年に当時の関前村が開村された時に開かれた来歴を持ちます。五日市街道沿いの市街地の町割りは、通りに面する部分の間口が狭く、奥行きが長い形になってるのが特徴的です。市街地かが進み、頻繁にバスや自家用車が通過する現代的な町並みが広がるようになっても、その町割りに、開拓当時の歴史を垣間見ることができます。さらに五日市街道を辿って成蹊大のケヤキ並木を一瞥しながら、武蔵野八幡宮(大黒様)の境内に面した、吉祥寺通りの交差点へと達しました。周辺には、安養寺(布袋尊)、大法禅寺(福禄寿)のほか、光専寺、蓮乗寺、月窓寺といった寺院が集まっていまして、都内で指折りの活気を見せる吉祥寺の都会の中に、溶け込んでいました。付近にある「四軒寺」交差点は、安養寺、光専寺、蓮乗寺、月窓寺を総称してそう呼んだことに因むものです。なお、大法禅寺の吉祥寺での歴史は比較的浅く、1932(昭和7)年に現在の六本木から吉祥寺へ移転しています。 吉祥寺の地図を見て気づくことは、藩政期からの主要道路であった五日市街道と、中央本線の直線が平行していないことではないでしょうか。これは、それぞれの幹線が形成された時代が異なることによります。井の頭池が至近にあり、都心からの郊外化とともに目まぐるしくその姿を変えてきた吉祥寺にとっては、中央線の鉄路がメインの交通軸へと昇華し、かつての幹線の五日市街道が見かけ上直交するように見えなくなっているというわけです。歴史のある寺院を巡った後は、吉祥寺を象徴する商店街の一つであるサンロード商店街のアーケードを通って駅前へと戻りました。
吉祥寺駅周辺は、東京都心部などでの良好なアクセスや、井の頭恩賜公園に代表されるのびやかな自然景観との近接姓から、住みたい街上位の常連として、今日まで多くの人々を惹きつけています。そうした現代的な都市景観をつぶさに見ていきますと 、藩政期から近代、そして現代へ向かう時代の中で、この地域が歩んだ歴史を反映したさまざまな事物がしなやかに息づいているように感じられました。 |
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