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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜
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#69 下北沢から代々木公園へ 〜台地を刻む起伏を感じる町並み〜 (世田谷区・渋谷区) 2018年1月6日、新春の吉祥寺周辺の社寺を訪れた私は、吉祥寺駅から京王井の頭線を利用して下北沢駅へと移動しました。小田急線との連絡駅として利用者の多い駅ですが、それ以上にこの駅を味わいのあるものにしているのは、小劇場やライブハウス、昔ながらの町並みなどによって語られる独特の雰囲気ではないかと思います。小田急線が2013(平成25)年に地下化され、その線路跡地の再開発も進行中のようで、狭い路地に多くの個性的な店舗やイベントスペースが軒を連ねる風景を概観しました。
下北沢駅周辺には住所地名としての「下北沢」は存在せず、その起源は藩政期から明治初期の市町村制(1889(明治22)年)まで存在した「下北沢村」に辿ることができます。現在の「北沢」の住所の範囲に概ね相当するようです。この「北沢」とは南を東西に流れていた北沢川に由来するものでしょう。目黒川の支流であった北沢川は現在は暗渠化されて、住宅地域の間を穏やかに進む緑道として整備されています。明治期の地勢図を確認しますと、現在の下北沢駅周辺はこの北沢川の小さな支谷が形成した谷地が連続する地形であったようで、下北沢駅の東側にはそれを反映した小規模な谷地形を認めることができます。駅を中心に、南口商店街や東(あずま)通り、一番街などの商店街が放射状に伸びて、そのどの通りにも多くの人々が闊歩していました。 三軒茶屋と下北沢を結ぶことからその名がついた茶沢通りを歩きながら、武蔵野台地末端の丘陵地のアップダウンのある住宅地域を進みます。狭い路線ながら拡幅予定地と目される空閑地が並行する都道420号を経て井ノ頭通り(都道413号)へ。地上へ出た小田急線は、代々木上原駅へ向かって通りを高架で越えていきます。山手通りへ向かって全体的に下りとなっていることも、代々木公園の高台の西側を南北方向に流れていた宇田川や河骨川(いずれも渋谷川の支流)が形成した谷が存在してるためです。地下を首都高速中央環状線が通過するため、排気口の煙突が屹立する山手通りに沿って北へ、代々木八幡駅周辺の穏やかな商店街を歩きながら、代々木八幡神社へと歩を進めました。石段や坂道によって進む代々木八幡神社の境内は、東西を小流によって浸食された台地上に位置していまして、みずみずしい社叢に包まれた神社には、多くの初詣客が訪れていました。
代々木八幡神社の参詣後は、代々木公園西側に向かって閑静な町並みの中を下り、ひっきりなしに列車が通過する小田急線の踏切を越えて、参宮橋門から代々木公園内へと進みました。豊かな植生に包まれる園内は、噴水やバードサンクチュアリを備える森林公園的なエリアと、陸上競技場などが整備されるエリアとによって構成されます。23区内では5番目の面積を持つ公園で、隣接する明治神宮の杜と合わせて、都心では有数の規模の緑地環境が展開しています。本当に広大な園内を散策していますと、周囲は高度に高密度化した大都市の中にあって、しなやかな緑に包まれながら、さわやかに大空を見上げることのできる空間は、とても貴重であると実感できます。明治期の地勢図を確認しますと、代々木公園のあるあたりはゆるやかな起伏のある台地上で、雑木林や畑地が広がる景観であったようです。その後陸軍代々木練兵場となったこの場所は、第二次世界大戦後の米軍の宿舎敷地・ワシントンハイツとなり、東京オリンピックの選手村を経て、1967(昭和42)年に現在の公園として再整備され、都民の憩いの場となり現在に至ります。 園内を横切って、神宮橋方面へと出て、午後4時近くとなり、徐々に夕刻を迎える明治神宮苑内へと歩きます。正月三が日を過ぎていたとはいえ、まだ新年の余韻を残した参道には、たくさんの人々が訪れていまして、新年への気持ちを新たにしているようでした。造営当初の献木により人工的に植林された後は、自然淘汰に任せる形で手が入れられていないという境内林は、冬の穏やかな夕日を透かして、芋を洗うような人出で埋まる参道の喧噪を幾ばくか緩和させてくれているように思われました。何列にもつくられた拝殿前の列に並び、なんとか参拝を終えて、再び神宮橋前から原宿駅前へと出たときには、既に黄昏時となっていました。
原宿駅から山手線に乗って、この日の活動は終了となりました。サブカルチャーの集積地として多様な文化が花開いた下北沢の町を一瞥しながら代々木公園へと進んだ道のりは、東京都心に近接した、一番古い「郊外市街地」としての姿を辿りながらの彷徨であったように思われました。そうした「歴史のある」郊外の町並みは、代々木公園の広大な緑地に近接して、しなやかな風貌を見せていました。 |
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