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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜
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#89 福生市街地を歩く 〜米軍基地と多摩川の自然に出会う町〜 (福生市) 2020年11月7日、東京都多摩地方北部に位置する福生市を訪れました。多摩川が青梅で山を出て平地を流れるようになって南東に進路を変える一帯に位置する福生は、その流れに沿って緩やかに傾斜する台地上に市域が広がります。JR福生駅前には西友を各店舗とした商業集積もあって、東京郊外における商業中心としての顔を感じさせる駅前の表情でした。
福生駅の東口を出て東へ、JR八高線の東福生駅方向へと歩を進めます。多摩川へ向かって段丘が形成される地形を反映し、ゆるやかな登りの市道を歩きますと、途上で都市計画道路の計画路線のある場所を通過しました。駅前でありながらも住宅地としての土地利用が卓越する地域にあって、幹線道路の建設も進む現況は、この地域がベッドタウンとしての性格を維持しつつも、東京大都市圏内における、旺盛な交通需要にも対応していく必要があるという特質も併せ持っているということを実感させました。八高線の鉄路を越え、そうした幹線交通の一翼を担う存在の一つである、国道16号に到達しますと、その道路の反対側には、福生市の地域性を象徴する存在の一つともなっている、横田基地へと行き着きます。 在日米軍基地である横田基地の周辺には、その基地に関係する軍属や民間人が多いこともあって、国道16号沿線にはアメリカを感じさせる商店や住宅地が多く存在しています。それらは「福生ベースサイドストリート」と称されて、飲食店やアパレルショップなどが国道16号沿いに立ち並んで異彩を放っていました。基地内では居住しきれなくなった米兵のためにつくられたアメリカ様式の住宅がその後日本人が住むようになった「アメリカンハウス」も現存しています。国道16号沿線では、福生市内にあっても米軍基地の影響を受けた近隣があって、特徴ある景観が形成されていました。
国道16号沿線を離れて再び福生駅方向へと戻ります。福生第三小の前を通ってゆるやかに下っていきますと、住宅街の中に「原ヶ谷戸(はらがやと)児童遊園の森を見つけました。「谷戸」とは、丘陵地に食い込むように入り込んだ低地のことを指します。水の得やすい谷戸は水田などに利用されてきましたが、この場所では高燥な土地が宅地化されて、谷戸の部分が雑木林、そして公園へと利用されることとなりました。所々に畑地の残る住宅地、都市計画道路の用地を再び越えて鉄路を再び跨いで青梅線の西側へと進みますと、福生駅に近づくにつれて商業集積が高まってきまして、多くの列車が中央線へと直通する駅の近傍としての雰囲気を実感します。福生駅前からは多摩川方向へ、福生駅西交差点を越えて歩を進めます。 奥多摩街道(都道29号)の先で、玉川上水の流れと新橋で交差します。新橋から宿橋、そして長徳寺の門前へと至る玉川上水の周辺は穏やかな町並みが残されていまして、江戸時代の原風景を感じさせる穏やかな景観が残ります。近世に江戸が日本の中心として多くの人口を抱えることになるにつれて必要となった上水需要を賄うために掘削された玉川上水は、現在でも多くの区間で水流が残されていまして、往時を偲ぶ散策コースとなっている箇所も多くあります。田村酒造場の建物を一瞥しながら、玉川上水に沿って歩いていきます。
関上明神社の先で、雄大な多摩川の流れに出会いました。そこから河岸段丘の坂を登って崖上へ、宿橋通りから中福生(なかぶさ)通りへ、土蔵の建物も残る集落を歩きながら、昔ながらの風景を残す家並みを歩いて行きました。河岸段丘上をゆく奥多摩街道へのぼるあたりにあるほたる公園の水場を確認し、JR拝島駅方向へ、玉川上水に沿うように辿りました。みずくらいど公園は、玉川上水掘削工事の初期、完成後に水を流したところ水が残らず吸い込まれてしまったという堀跡が保存されています。現代の幹線道路や鉄路周辺の郊外型商業集積のある町並みと、その狭間にある昔ながらの集落風景とが重なる景観、それと横田基地に接する独特のアメリカナイズされた光景も相まって、現代の福生の風景が構成されていました。 |
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