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八重山、初東風と冬の雨
2014年1月、新年早々石垣島とその周辺の島々を訪れました。八重山列島と呼ばれるそれらの島嶼は、沖縄県内にありながらも沖縄本島よりも台湾のほうがはるかに近いという地勢にあります。亜熱帯海洋性気候にあって年中温暖な気候である八重山で迎えた1月は、本州に比べれば高い気温でも「冬」を感じさせました。 |
竹富島の景観 (竹富町竹富、2014.1.3撮影) |
石垣島・川平湾 (石垣市川平、2014.1.4撮影) |
訪問者カウンタ ページ設置:2017年4月22日 |
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石垣市街地を歩く 〜八重山地方の中心都市〜 2014年1月2日、那覇で飛行機を乗り継ぎ到着した石垣島は、南国らしい暖かな冬の青空の下にありました。前年3月に開港した新石垣空港(愛称:南ぬ島(ぱいぬしま) 石垣空港)はまだ真新しい装いで、多くの旅客を新年の石垣島へと迎え入れていました。新空港は島の東側、白保地区の海に接した陸上に建設されました。手狭となった市街地に近い旧空港から新空港への移転を巡っては、自然保護の観点から多くの紆余曲折があったことは知られているところであると思います。空港から車で30分ほどの中心市街地へと向かいます。
九州から台湾に向かって弧状に連なる島々−南西諸島−にあって、最西端に位置する石垣島や西表島、与那国島などは総称して八重山列島と呼ばれます。八重山列島の中心都市は石垣島にある石垣市で、約4万8千人の人口を擁する、地域の政治、経済、文化、交通の拠点となっています。八重山列島の範囲はそのまま地方区分としては八重山地方とされますが、単独で市制・町制をしく石垣島(石垣市)と与那国島(与那国町)を除いた島嶼を町域とする竹富町の役場が町外の石垣島にあることは、そうした石垣島の拠点性を端的に物語るもののひとつであると言えます。この日から3日間投宿するホテルにチェックインしてから、八重山地方の中心たる石垣市街地を歩いてみることとしました。 前述した竹富町役場から南へ程無い海沿いに、石垣港離島ターミナルがあります。ここから八重山列島各地への高速船が就航していまして、ターミナル周辺にはホテルや官公署のほか、繁華街や飲食店街が多く軒を連ねていまして、さながら駅前のような一大商業業務エリアが形成されています。バスターミナルも至近にあって、島内各地域へのアクセスをカバーしています。降雪市場を中心とした一帯にはアーケード街「ユーグレナモール」が整備されて、観光客向けの店舗などが集積していました。アーケード街を南東へ進み、国道を渡った先、市立八重山博物館の横の駐車場のほとりに「八重山島蔵元跡」と書かれた表示が置かれていました。蔵元とは、首里王府が地方統治のために置いた政庁です。八重山地方の蔵元は1524年に竹富島に開かれたのを端緒として複数の場所への移転を経て、1815年から1897(明治30)年に廃されるまでこの地に設置されていたことをその表示は伝えていました。その後も近年まで県の出先機関や市役所などがこの地に置かれていました。
ブーゲンビレアが輝かしい鴇色の花弁を風に吹かせる中、現代的な街並みに溶け込むように豊かな緑に覆われた祠がありました。美崎御嶽(みさきおん、現地の道標には「みしゃぎおん」のルビがふられていました)と呼ばれる、沖縄における信仰で様々な神様が鎮座する場所です。沖縄本島では「うたき」と呼びますが、八重山ではこれを「おん」と言い習わします。周囲を石垣でで囲まれた御嶽には、その中央に石門があり、その奥が「イビ」と呼ばれる聖域で、そこは男性が入ることが禁じられています。琉球王朝時代は、公儀御嶽(クギオン)という位置づけにあって、王府役人の離着任時や農耕儀礼を行う際に、高官や大阿母(オオアムまたはオオアモ、琉球王朝の上級神女)が礼拝する場所として利用されてきました。現在は建造物・史跡の双方で県指定の文化財となっています。イビは亜熱帯の自然そのままに木々が生い茂り、大地からの神聖な力が生み出されているかのような畏怖を感じさせました。 美崎御嶽を後にしてからは、今日の街並みの中にそうした伝統的な事物を辿る道程になりました。美崎御嶽の東には天川御嶽(あーまーおん)、そこから海側へ進みますと船着御嶽の小さな祠がありました。海に沿って国道を中心部方面に戻りますと「730(ななさんまる)記念碑」交差点へ。730とは、沖縄の本土復帰後の1978(昭和53)年7月30日に行われた道路交通の一斉切り替え(これまではアメリカ式に自動車は右側を通行していたが、これを交通標識も含め一夜で左側通行に変更した)を指す言葉で、この碑はその歴史的事業を伝えるために建てられたものであるのだそうです。再びユーグレナモール付近を通りながら、北東の住宅地域内にある宮良殿内(メーラドゥヌズ)へ。琉球王府時代の上級士族の建物(1819(文政2)年建造)として国の重要文化財指定を受けています。町のいたるところに御嶽があって厳かな空気を創出する景観は、亜熱帯の自然と向き合いながら地域社会を構成してきた八重山をはじめとした沖縄の地域性を象徴しているように思われました。八重山発の仏教寺院である桃林寺と権現堂は、新年を祝う初詣客でにぎわっていました。この年の元日から二日にかけては、穏やかな晴天に恵まれ、春を感じる東寄りの風が快い陽気でした。まさに初東風に祝福されるような、石垣市街地彷徨でありました。 西表島と由布島周遊 〜亜熱帯の自然景観を体感する〜 竹富島は石垣島の南東に寄り添うように浮かぶ、周囲9キロメートルあまりの小さな島です。石垣島から高速艇に乗って10分ほどで到着できるほどの近さに存在しています。隆起珊瑚礁からなる島はおおむね平坦で、珊瑚礁に彩られる豊かな自然と、赤瓦屋根と珊瑚の石垣、白砂の街路で知られる伝統的な街並みで知られる島です。石垣島に着いた1月2日に、市街地を散策した後夕方に少し時間があったので、高速船で竹富島に足を延ばしてみました。最終の船の出港時間の関係で港周辺の訪問だけにこの日は留めましたが、上記した島の雰囲気の一端には触れることができました。島の中央にある集落へ向かい緩やかに上る道路からは、狭い海峡を介して石垣島が間近に迫りまして、八重山における「母なる島」たる石垣島の存在感に圧倒されました。翌3日にこの竹富島をはじめ、西表島と由布島を辿る日帰りのツアーに参加する予定で、この日の竹富島のプチ訪問はそのイントロダクションとして貴重なインスピレーションを得ることができました。翌日の予報がやや不安だったこともこの行動の根幹に働いていました。 果たして、翌1月3日は、前日までの好天が一転して、石垣島ではやや肌寒い、曇り空の朝から始まることとなりました。冬の八重山地方は、寒気の張り出しに伴って北寄りの季節風が入り、雨模様となることが少なくなくて、この日もそうした気象による天候が八重山を覆ったようでした。午前8時30分過ぎ、離島ターミナルを船で出発し、八重山列島最大の島・西表島へ向かいました。西表島は八重山列島にあって、石垣島と対をなすような山がちの島です。南部に隆起珊瑚礁による平坦地があって人口が集積する石垣島とは対照的に、西表島は沿岸部まで急峻な山並みが迫っており平地が少なく、マラリア発生地としての歴史もあり(現在は撲滅されています)、人口が希薄な状況が続いてきました。その結果、西表島は亜熱帯の原生林が広く分布する、自然豊かな島として存立し得ているわけです。沖縄県内では本当に続く2番目の面積を持ちながら、西表島の人口は約2,500ほどでしかありません。浦内川に次いで島内2番目の長さを持つ仲間川河口にある大原港に到着します。広大な河港をもち悠々と流れる仲間川の河口の背後には、霧に包まれる西表島の山並みが灰色の空に溶け込んでいました。
島へ上陸後は、日本最大のマングローブ林が発達する仲間川流域へ小型船に乗り換えてクルージングへ。海水と淡水が交じりある環境下に生育する植生を総称して「マングローブ(林)」と呼びます。マングローブを形成する主要な植物はオヒルギ、メヒルギそしてヤエヤマヒルギで、根元から水中へ枝分かれするように伸びる「呼吸根」があることが特徴です。根元で波打つように地上に現れたり隠れたりするような形状の膝根(しっこん)を持つオヒルギ、板状の根(板根)を持つメヒルギ、そして幹を支える三脚のように根を張るヤエヤマヒルギの支柱根と、よく観察すると根の形状が多様であることが分かります。塩分にさらされる、生物にとっては過酷とも思える場所で豊かな緑を繁らせるマングローブの態様は、多湿な亜熱帯の賜物である雲や霧に浸りながら、いっそう力強いもののように目に映りました。川に近い場所には巨大な板根が屏風のような佇まいのサキシマスオウノキの巨樹があり、船から降りてそれを目の前に観察することもできました。 仲間川のクルーズの後は、観光バスで島の東岸を縦貫する県道を進み、水牛の牛車で浅い海峡を渡って進む由布島を訪問し、南国さながらの植生の中を散策しました。由布島は西表島に抱かれるようにしてある砂州由来の小島で、東にある隆起珊瑚礁の島・小浜島に守られるような位置でもあります。西表島と石垣島の間は、両島の頭文字をとって命名された、国内最大の珊瑚礁群「石西礁湖(せきせいしょうこ)」が広がる豊かな海です。そうしたきらめきに溢れる海に、この小浜島をはじめ、竹富島や黒島、新城島(上地島と下地島の併称)といった隆起サンゴ礁の島が星屑の用に散りばめられて、多くの生命を育むゆりかごが形成されています。
海を渡る風は南国の温かさを内包しながらも、冬の冷たさを雨や霧の湿り気の中に感じました。日本列島の最南にあって、常夏の文脈の中でイメージされ、叙述されることの多い八重山にあっても、日本的な季節感を憶えたことは、新鮮な感動を与える事象であったように思い出されます。マングローブ林や原色の花々が亜熱帯の地域性を表現しながらも、目の前にある光景は鈍色に沈む冬の水墨画のような海や山のものであったことが、八重山であっても内地であっても、緯度の違いに基づく強弱はあれ、大陸からの寒気の影響を少なからず受けるということを体感できたことを何より雄弁に物語っていたように述懐されました。 西表島から由布島をめぐる行程を終えた後は、前日にも訪れていた竹富島へと航海しました。南国の冬の風雨は次第にその激しさを増していました。 |
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後編へ続く |
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