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八重山、初東風と冬の雨
竹富島の風景 〜沖縄の原風景をたどる〜 2014年1月3日、石垣島を起終点に、西表島、由布島そして竹富島を周遊するツアーを利用した私は、南国の冬を体現するかのような雨模様の中、最後の訪問地である竹富島へと入りました。前日の夕方、清涼感に溢れる夕方の空の下訪れた島の風景は、前日のそれとは姿を変えて、冬の寒さをその身に纏っているかのように悴んでいました。
周囲9キロメートルほどの小さな島に、沖縄の伝統的な建築様式を忠実に伝える集落が残ります。赤瓦の住宅、珊瑚(琉球石灰岩)を積み上げた石垣、屋根の上のシーサー、住宅の入口に目隠しのようにして立つピーフン(ヒンプン)と呼ばれる壁、そして白砂が撒かれた南国らしい路地、そのすべてが沖縄で洗練されてきた歴史的な形象を体現しているものです。集落は島の中央やや北寄りにあって、西屋敷、東屋敷、仲筋の3つに分けられているようです。竹富島での滞在は、まず最初に星砂で知られる西岸のカイジ(皆治)浜へ向かった後、伝統的な建物が残る集落内を自由散策という内容でした。カイジ浜の近くには、県指定史跡の蔵元跡があります。これは石垣市街地の散策でも訪れていた蔵元跡と同一の流れをくむもので、八重山における最初の蔵元はここ竹富島に設置されたものでした。 西屋敷集落内の「なごみの塔」と呼ばれるタワー上の構築物の上からは、集落の様子を美しく俯瞰することができました(2017年の本稿執筆時現在は老朽化のため登ることができなくなっているとのことです)。この日はあいにくの雨模様の中での見学となりましたが、低平な島に、豊富な緑に囲まれながら点在する赤瓦の家並はたいへん穏やかな印象でした。沖縄における原風景たる集落景観が評価され、竹富島は国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けています。このような貴重な集落景観を維持するために、竹富島では「竹富島憲章」を定めてさまざまな取り組みが行われていることでも知られています。
竹富島の集落をめぐりながら、その美しさに感嘆する時間は瞬く間に過ぎて、石垣島へ戻る時刻となりました。午後5時近くとなり、日が長い当地にあっても、曇り空の下、空の光量は徐々に失われていきます。竹富島からは、目の前に広がる石垣島へ、短い航行時間の間でもその暗さは実感できました。多くの日本人にとって非日常的な集落の風景が展開する竹富島は、ここを目指す人々にとってまさに憧憬の地であり、そして燦然と映る異郷の地であるのではないでしょうか。今回の訪問は南国の冬の雨に濡れる中でのものではありましたが、その穏やかに冷たさを感じながら踏みしめた竹富島の大地の触感は、琉球と呼ばれていた時代を遥かに超えて、この地域に育まれた珠玉の文化の元となった珊瑚礁が折り重なった質量そのものであったのかもしれません。 石垣島一周 〜島の多様な原風景を訪ねる〜 手元にある花の写真集に、石垣島で撮影されたというデイゴの巨木の写真があります。それはサトウキビ畑のような農地の傍らに南国の強い日差しに負けないような大きい幹からは、空を掴むように枝が伸びて、真紅の花を咲かせていました。撮影地は石垣島北部、美しい海で知られる川平湾沿岸であるようでした。この写真を見てから、石垣島の自然がどのようなものであるのか、一層の興味を持つようになったと記憶しています。今回の訪問は新春でありデイゴの花の季節ではなく、また結局この大木を見つけることができませんでしたが、八重山の中心都市として高度な中心性のある市街地を擁する南部とはまた違った石垣島の魅力に癒された、1月4日の石垣島一周の行程でした。
1月4日は前日に引き続き曇り空が中心で、時折薄日が射すという天候で推移しました。新石垣空港まではバスで移動し、レンタカーを調達後、東海岸を北上しました。バスの車窓からは、途中国内最大とされる宮良川河口のマングローブを通過していますが、手元に写真もなく、記憶があいまいであることが悔やまれます。空港から北の国道沿いはのびやかな田園と林の混在する風景が広がります。沿岸は珊瑚礁が発達していることもあり、玉取崎展望台から俯瞰した海は鼠色の空の下でも美しいマリンブルーを呈していました。この玉取崎を含む野底岳のある半島部(野底半島とも呼ぶようです)からさらに北東には、平久保半島が細く突き出す格好となります。海へとつながるサビチ洞や、海岸付近に連続する小規模なマングローブなどを概観しながら、島北端の平久保崎へ。白亜の灯台の背後には、茫漠としてたゆたう大海原が、静かに潮騒を響かせながら、冬の白日を宿す空と緩やかに向き合っていました。 石垣島北部は隆起珊瑚礁由来の陸地が多い八重山列島にあって、例外的に山岳性の陸地であることは指摘しました。そうした海まで迫る山並みは、亜熱帯の高温多湿な気候も相まって、豊かな常緑の自然をこの小さな島の隅々まで育んでいます。平久保半島を南へ戻り、島の北岸を進む途上には、国指定天然記念物の「米原のヤエヤマヤシ群落」がありました。空に向かって伸びるヤシの幹は密林の中でもしなやかに屹立していまして、木々の樹冠を通して差し込む日光に透かされて輝いているように感じられました。収穫時期にあるサトウキビ畑の様子と一瞥しながら、島北部有数の景勝地である川平湾へとドライブを進めました。小島(くじま)をはじめ、「マジナパリ」などの個性豊かな名前の島が湾口をふさぐ川平湾は、海面そのものが宝石の集合であるかのような煌きにつつまれていました。その極楽を思わせる風景をしばし鑑賞しました。静かな海の近くには御嶽もあって、そうした歴史的資産も含めた光景は、古き良き八重山の原風景を実感させるに余りあるものでした。
川平湾訪問の後は、島の西岸を軽やかにドライブを進めました。ラムサール条約登録湿地である「名蔵アンパル」や1852年に発生したロバート・バウン号事件で犠牲となった中国人苦力(クーリー)を慰霊する唐人墓などを訪ねて、石垣島の自然と歴史に触れました。冬の色彩を帯びた空は、やや強い風雨を伴った前日よりは幾分静かさを取り戻していまして、穏やかな冬の日の光に時折照らされた石垣島の大地に、新春ののびやかな光彩を届けていました。 この日の最後は、石垣市街地を南に見下ろす高台に位置するバンナ岳公園へと足を延ばしました。「エメラルドの海を見る展望台」と称する展望所からは、島南部の低地に展開する石垣市街地と、その先に横たわる竹富島とが一望にもとに見渡せます。その眺望は、八重山が構成する海と島の大自然と、地域を透過する拠点としての石垣市大地のダイナミズムとを端的に象徴するものであるように目に映りました。そうした都市と自然とが間近に交錯することも、石垣島の特質の一つなのではないかと率直に感じました。夕闇が迫り、徐々に夜景へと遷移するその風景に、しばし浸りました。
島での滞在最後の夕方、石垣市街地を再びめぐる中で、2日の訪問では閉門していた宮良殿内を見学する機会に恵まれました。八重山の伝統的な士族建築であるその建物は、ゆったりと時を重ねた風合いをその屋根や壁などに纏わせていました。庭には八重山に春を告げる緋寒桜が数輪花をつけていまして、新たな一年の幕開けを祝福しているように感じられました。 |
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