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点描千葉市とその周辺
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#10 千葉市街地を歩く(後) 〜中心市街地の苦悩と希望〜 さび付いたようなアーケード状の庇を歩道にせり出させた街路は、ゆるやかに東へ進路をとりながら県庁前へと至ります。付近は中低層のオフィスビルが中心となった住商混在地域の様子を呈していて、建物の密度が相対的に高くない分、空が広く見渡せます。県庁前の「羽衣公園」と呼ばれる一角は緑が多く、散策する人の姿もあるものの、やはり日曜の朝のビジネス街ということで、県庁や県警察本部などの建物群の迫力の割には人影はまばらでした。 先に亥鼻公園の西側一帯が都市としての千葉のオリジンで、市街地はここから成長していったことをお話しいたしました。それに関連して千葉市の成長過程を探るべくいろいろとサイトを検索していく中で、地元の方々の少なくない層において、この元来からの中心市街地の停滞を憂慮されるといったニュアンスの記事に行き当たりました。先述している「千葉銀座通り」と、これに直交する東西の通りである「中央銀座通り」が交わるあたりが伝統的な千葉市の繁華街の中心で、セントラルプラザ(2001年閉店)や扇屋ジャスコ(1992年閉店)などの集客力のある大型店舗が林立する、活気のあるエリアであったと指摘されています。多くの人の流れがまとまっているJR千葉駅周辺とはまさに好対照です。先にご紹介した「きぼーる」は、そんな中心市街地の活気を取り戻すべく開設された官民複合施設で(千葉市科学館などの市の施設・機関に、民間の飲食店等がテナントとして入居)、扇屋ジャスコの跡地に建設されました。セントラルプラザの跡地も、千葉市で現在のところ最も高いという地上43階建ての超高層マンションとして生まれ変わろうとしています。
千葉都市モノレールの県庁前駅からモノレールに乗車し、千葉駅を経由して市役所前駅まで向かいました。市役所は中心市街地が埋立地に展開する海岸エリアへと遷移する位置にあって、県立美術館やポートタワーなどを擁する「千葉ポートパーク」まで一直線に繋がる行政・文教エリアの起点となっています。「臨港プロムナード」と呼ばれるこの通りは、青々とした照葉樹の並木が立ち並ぶ穏やかな景観を呈して、通りに面するホテルや郵便局、各種行政機関などを輝かしい緑色の中に誘っています。JR京葉線・千葉みなと駅の目の前で、東京都心へのアクセス性もよく、千葉市都心部も至近のこの地域では、「セントラルポートちば」と称する再開発が進行中のようで、プロムナードに接して空き地もかなり目だっておりまして、計画が予定通りに進行していない様子が垣間見えるような気がいたしました。調べてみますと、横浜の「みなとみらい21」や神戸の「ポートアイランド」に続く第三のウォーターフロントを、と商業施設や旅客船桟橋の整備を柱とした再開発であったものの、現状ではバブル崩壊の影響を受け、マンション分譲中心の街づくりへと方向転換を余儀なくされつつあるようでした。 1986年、千葉県の人口500万人突破を記念して建てられたというポートタワーから、千葉市街地を見下ろします。港湾として指定された部分は市川市から袖ヶ浦市まで及び、その面積は日本一を誇る千葉港はさすがに圧巻で、その取扱貨物量は重化学工業用途が多大半を占めて全国第2位(2007年度貨物取扱量1億6,920トン、千葉県県土整備部港湾課発表の「千葉港港湾統計速報」による見込値)とのことで、名古屋港、横浜港と並び日本三大貿易港の一角を担っています。眼下には千葉市中心部の市街地がのびやかに展開し、遠方には幕張新都心のビル群も望まれます。手前の港湾施設群と彼方の新都心の間には美浜区の新興住宅地域が広がって、全域が埋立地である同区の姿に、千葉市における高度経済成長期以降の成長過程がその風景に凝縮されているように感じられます。
沿岸部における目覚しい工業化や、首都圏の巨大都市圏化とも関連した県域中心都市としての拠点性の向上を受けて、千葉市には多くの人口が集積し、大型プロジェクトが実行に移されてきました。海岸に立つタワーから俯瞰する千葉は、そうした複数のエッセンスが濃密に作用した現代都市としての輝かしさに満ちている一方で、空洞化の顕著な中心市街地、JR千葉駅前に局所的にシフトしつつある活気といった現在の千葉の姿が織り込まれていることに思いをめぐらさざるを得ない心境もあるような気がいたしました。幕張新都心、セントラルポートちば、と続けられた開発事業は、個々の事業の是非についての論評は差し控えたいと思いますが、結果として千葉市全体が持つ都市としてのポテンシャルを分散させ、千葉らしさが最も濃厚に刻まれた地域のひとつであったであろう、亥鼻公園下に展開する元来からの中心市街地の相対的な地盤沈下の遠因になったきらいも無きにしも非ずのように感じられます。「地域らしさ」が懐かしさや新鮮さを纏って新たな価値を生み出すことが多い現在の風潮にあって、千葉の都心に近い「セントラルポートちば」のエリアと、「きぼーる」により再生への道筋を探る中心市街地のエリアとがいかに有機的に結びついて、千葉らしさを演出することができるか、こういった観点にあるいは何かよいヒントが見出せるのではないか、そんなことも考えてみました。 ポートタワーからは、千葉駅前へ戻る路線バスに乗って、駅へと戻りました。後で知ったことですが、京成千葉中央駅のある場所は、戦災による影響で移転する前までは国鉄本千葉駅のあったところだそうで、旧本千葉駅前から東へ延びる中央銀座通りと、旧千葉駅前から南へ延びる千葉銀座通りが目指す場所、双方が交わる接点こそ、千葉市街地のオリジナルなメイン繁華街という構造が浮かび上がることに気づきました。千葉市のプロフィールを確認しますと、中世の千葉氏に関連した町場としての黎明が語られた後、いきなり明治期に話が飛んで、廃藩置県後の県の統合により当時の千葉町に県庁を置いた千葉県が発足、首都圏の業務核として成長、という文脈で紹介されるケースが多いように思います。藩政期に城下町として過ごしたなど、江戸時代に既に大都市としての基盤を有していたことの多い日本の大都市にあって、千葉は純粋に近代以降の行政中心としての成長(他の重要な要因も考えられますが、ここでは述べないことといたします)によって今日の規模を得た、例外的な位置づけにあるまちだと思われます。そうした奇跡を成し得た力が、新たなムーブメントとなって、千葉の町を吹き抜ける輝ける風となる日は、そう遠くないのではないかとも思われました。 |
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