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中国山地を見つめて
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#1 可部線沿線と三段峡 〜奇跡の清流との出会い〜 広島駅を出発した列車は、短い間隔で設けられた駅にこまめに停車しながら、太田川中流の要衝として成長した都邑可部に到着しました。可部は、出雲街道が太田川筋に出る要衝に発達した町です。近年は、広島市北部の衛星都市的な色彩が強くなりましたが、それは高度経済成長以降の、広島大都市圏の都市化の波が及んだ後のことで、30年くらい前までは、広島の市街地とは独立した、太田川中流域の有力な中心地でありました。また、広島釜と呼ばれる風呂釜の特産地として、鋳物工業のまちとしても古い歴史を持っているそうです。中国山地は、「たたら製鉄」と呼ばれる、古来からの製鉄技術が息づいていた伝統があり、そういった部分をくむものであるのかもしれませんね。可部駅から垣間見た可部の町は、大都市圏周辺部のベッドタウンという印象ではなく、昔ながらの落ち着いた佇まいを見せる、懐かしい雰囲気を残した町並みに彩られているようでした。列車を更に乗り継いで、終点の三段峡へと向かいました。
列車は、ニュータウンの喧騒もようやくおさまった頃、河谷に寄り沿いながら、また時に穏やかな住宅と耕地の間を抜けながら進んでいきます。ご存知のとおり、この河谷は下流域、海への出口一帯に、広島の市街地を発達させたデルタをつくっています。車窓から眺める太田川の流れは、深い谷間をつくりながらも、雄大な表情を見せているように感じられます。いずれにいたしましても、可部線の可部以北が廃止された現在では、このとき眺めた景色を列車のスピードやアングルで眺めることができなくなったのは少々惜しいかなとも思えます。 三段峡駅は、杉の木立の並ぶ山肌に向かって今にも突き刺さりそうな感じのホームを持っていました。あるいは、もともとあの山肌を貫いていたレールが、駅の位置で唐突に切断されたようなと言ったほうがよりマッチした表現でしょうか。駅前には、鉄道営業の存続を求める大きな横断幕が掲げられていました。全長16キロメートルにも及ぶ三段峡へは、この駅からも遊歩道を経由しながらゆっくりと散策をすることができるのですが、今回は三段峡の二大鑑賞スポットである、二段滝と三段滝双方に近く、マイクロバスの便も発着している、出合橋までバスで向かうことにしました。バスは、国道191号線をしばらく進み、深入山のたおやかな山容を望む位置にある「いこいの村ひろしま」を経由して、国道から離れ、自動車がすれ違うこともたいへんそうな細い山道を抜けて、出合橋へと到着しました。途中の道路の行き先表示に「浜田」の文字を見たときは、何か、中国山地の只中にいるんだな、という感慨を持ちましたね。 秋分のこの日は、やや雲が多かったのですが、寒くもなく、穏やかな天気でした。いまだ緑鮮やかな木々を介してこぼれる日の光は眩しく、輝かしく、水の流れの快いリズムの中でひときわ美しい風景を作り出しています。山道も傾斜は比較的きつくないので、快適な散策を楽しむことができます。葦原を過ぎ、山道は二段滝へ向かう道と三段滝へのそれとの分岐点に達します。二段滝のほうが距離的に近そうでしたので、まずは二段滝へと向かうことにし、ますます清冽さの加わってくる流れに寄り添いながら、ブナやナラ、カエデなどの緑が相変わらずみずみずしい小道を進みました。やがて、道は途切れ、二段滝へ向かうためには、「猿飛」と呼ばれる狭い峡谷を渡船で行かなければなりません。この渡船はちょっとユニークな操船の仕方をしていまして、船のルート上に張り巡らされたロープを手で手繰りながら、船を推進させていくのです。
猿飛は、その名のとおり、その上を猿がジャンプして行き過ぎていけそうなくらい、狭い峡谷でした。この柴木川へとつながる流れが、長い、本当に長い年月をかけて、このような谷間(といか、隙間というか)を削り作り出してきたと思うと、自然の流れの壮大さとか、自然の深遠な意味合いとか、そういったスケールの大きい、計り知れない物語のようなものを感じずにはいられませんね。ほんとうに、自然とは、すごいものですよね。 そして、猿飛の谷間を越えて、目の前に現れた二段滝の素晴らしい姿に、感動しました。高さ11メートル、高さ5メートルという二段滝は、1988年の水害によって上段の滝が崩壊したため、現在は一段の滝になっています。二段滝をはじめ、三段峡付近の地質は、流紋岩に花崗岩が貫入したもので、そこを柴木川が深く浸食し、特徴ある峡谷が形成されました。岩肌の美しさ、滝の流れ落ちる豪快さ、周囲の緑のさわやかさ、どれも私を感動させてくれて余りあるものでした。とりわけ、水の清らかさには、奇跡さえ感じました。上流に人里が無い(かつてはあったが、現在では人はすんでいないらしい)川の水は、ほんとうに透き通るようで、空気のようです。一瞬、日が差し込みました。滝がスポットライトを浴びて、これ以上ないおおらかさが、滝を中心とした風景のなかに現れました。 二段滝を後にして、三段滝方向へ山道を更に進みました。30分ほど、二段滝へ向かう山道よりはややきつい山道を歩くと、三段峡の名の由来となった、三段滝へと至ります。先に説明しました「貫入曲流」によって、滝肌には東西方向の節理が刻まれています。落差は、上滝が約10メートル、中・下滝がそれぞれ7〜8メートルであり、滝壷も深さ約10メートルもあるのだそうです。滝は、周囲の岸壁や木々の緑の囲まれながら、素晴らしい景観を作り出していましたが、肝心の水は、二段滝のそれと違い、格段に濁っているように思いました。下を眺めると、廃タイヤが落ちています。上流には、樽床ダムとその貯水池(聖湖)があります。
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