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#16 太田市内散策(5)九合から沢野北部へ 〜高度経済成長期に激変した地域〜 コロナ渦の現況を鑑み、地元太田市を中心とした地域を見つめるフィールドワークの5回目は、太田駅南口から南西へ、九合地区から沢野地区の北側を巡るルートを歩きます。市役所の南、太田環状線を挟んだ浜町・新井町の地域は、高度経済成長期の末期から進められた土地区画整理事業により、整然とした区画の住宅地となっています。このエリアを流れる八瀬川も三面側溝となって、流路が緩やかにされたことを物語っています。国道と県道323号沿いには商業集積がありますが、一歩内側に入りますと穏やかな住宅地の中に畑地が混じる景観となっていまして、十輪寺や地域の鎮守である新井八幡宮の周辺が、元来からの新井の集落があった場所となります。道路に沿って流れる用水路も昔からあるもので、それは畑地に囲まれた農業集落であったこの地域の原風景を止めるものです。
県道を越えて南へ、公営団地と戸建て住宅地とが立ち並ぶエリアへと歩を進めます。地域の南には広大なSUBARUの矢島工場の敷地があり、その間の土地はほぼ住宅地として今日されているのですが、その中にあってわずかに水田としての土地利用が残されている場所があります。先に指摘した新井の集落のある一帯は微高地になっていて宅地や畑地としての利用が指向された一方で、この一帯は元来土地が低く水田としての土地利用が卓越していた場所でした。そうした広大な空閑地に大工場が建設され、旧来の集落との間の土地は宅地として再整理されてきた中に奇跡的に残された水田からは、住宅の間から金山を望むことができました。 県道に沿って西へ進み、蛇川の流れを超えて下浜田交差点へ。交差する県道301号(太田小島線)に沿って南へ歩きます。県道に沿うように旧来の集落から遷移した現在の家並みがおよそ南北方向に細長く広がります。集落の間には小さな用水路もあって、あるいは蛇川などこの地域を流下した小河川の旧河道を跡付けるものであるのかもしれません。明治期の地勢図にも見える吉祥寺や地域の鎮守である伊佐須美神社などを回りながら、水田や畑地もある穏やかな集落景観を歩きます。岩瀬川地区を過ぎ、県立がんセンターへ続く市道の周辺から西は広大な水田が広がります。憩川の小さな流れには雑木林があり、市道が渡るその支流の橋には河川名として「岩瀬川」の名前を見つけました。
高林北町から富沢団地入口、福沢の交差点を経て、蛇川の向こうの冠稲荷神社へ。石田川沿いの米沢地区の旧来の集落から北側には、西部工業団地が造成され、その南側は新興の住宅地となっています。市南部へ水道水を配水する配水塔を過ぎ、大きな工場の敷地を歩きながら、東武細谷駅方面へと歩を進めました。聖川やその他小さな河川が潤す細谷の集落内には、市指定文化財の梵鐘・半鐘のある教王寺。付近にある国指定史跡・高山彦九郎宅跡一帯は、穏やかな雑木林に囲まれる集落となっていまして、その中に佇むように細谷駅がありました。 |
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