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きらめきの上州譜

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#15 太田市内散策(4)尾島エリアを歩く 〜田園と史跡が点在するまち〜

 コロナ渦の現況を鑑み、地元太田市を中心とした地域を見つめるフィールドワークの4回目は、太田市の南西部、尾島地区を歩きます。平成の大合併で市域となった同地区のおいたちについては、拙稿「りょうもうwalker」内で触れています。現在でも多くの蔵造りの町家が残る町並みは、宿場町として栄えた往時の繁栄を思い起こさせます。現在では市役所の尾島庁舎となっている旧役場の駐車場から、散策を始めます。

尾島庁舎とゴボウ畑

尾島庁舎とゴボウ畑
太田市粕川町、2020.4.29撮影)
明王院・千体不動尊供養塔

明王院・千体不動尊供養塔
太田市安養寺町、2020.4.29撮影)
上武道路

上武道路
太田市安養寺町、2020.4.29撮影)
尾島四丁目交差点

尾島(四丁目)交差点
太田市尾島町、2020.4.29撮影)

尾島の町並み

尾島の町並み
太田市尾島町、2020.4.29撮影)
雷電神社

雷電神社
太田市尾島町、2020.4.29撮影)

 旧国道354号(県道142号)を横断した家並みの先に明王院があります。鎌倉時代の総領家クラスの安養寺館跡に建てられた当寺には、千体不動尊供養塔が現存しています。葉桜の新緑がまぶしい参道の先には、国道17号のバイパスである上武道路が横切っていまして、多くの車両が通過していました。再び県道142号に戻り、東へ。尾島の市街地を取り囲み宅地化が進展する亀岡地区を経て、尾島の市街地へ。8月に開催される尾島ねぷたまつりでもクライマックスの舞台となる尾島交差点(地元では四丁目交差点と呼ばれる)は、木崎方面から伸びる県道が交差地区の結節点です。ここから一丁目の交差点までの一帯がメインの町場となっていまして、古い町家の背後に寺院や神社も存在していまして、そこには歴史のある在郷町としての佇まいが濃厚に残されていました。

 初夏を思わせる鮮やかな青空の下、尾島の町の北側、石田川の南のエリアを回ります。市街地の後背地にあたる一帯は元来耕作地となっているのですが、部分的に宅地となっていまして、尾島の町としての興隆史がその風景に垣間見られます。寺院や神社の密度も多い印象で、それはそれらを維持する自治組織の活発さを表していまして、上記の町が活発であったことを補足しています。尾島の町の東に隣接する岩松地区には、中世に後の新田氏や足利氏の祖となる源義国らの居館跡と推定される青蓮寺があります。県道を挟み広大な農地が広がるこの地域には、岩松尚純夫妻の墓や岩松八幡宮など、戦国期にゆかりのある史跡も点在しています。
さらに南の押切地区には中島知久平邸。岩松と押切の間には小さな流れがあり、周囲の地形から見ても、古来氾濫を繰り返してきた利根川のかつての流路のひとつであったのではないかと想像します。

青蓮寺

青蓮寺
太田市岩松町、2020.4.29撮影)
麦が植えられた田園風景

麦が植えられた田園風景
太田市岩松町、2020.4.29撮影)

中島知久平邸

中島知久平邸
太田市押切町、2020.4.29撮影)
岩松八幡宮

岩松八幡宮
太田市岩松町、2020.4.29撮影)

旧前島河岸付近・早川の風景

旧前島河岸付近・早川の風景
太田市前島町、2020.4.29撮影)
義貞駒つなぎの松

義貞駒つなぎの松
太田市亀岡町、2020.4.29撮影)

 岩松の区画整理地を通りながら、尾島の町の南の外れを通り、新上武大橋のたもとにほど近い前島町方面へ。大正時代に河川改修が行われ現在の流路になる前は、利根川はこの付近で北に大きく湾曲していて、この場所に「前島河岸」と呼ばれる河港がありました。足尾銅山から運ばれた銅が積み出されていた河岸で、尾島の町としての繁栄もこうした史実と関係があるのかもしれないと考えました。

※その後は尾島小学校あたりまで歩いて戻り、亀岡町内を経由し尾島庁舎へと戻りこの日の活動を終えています。


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