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#24 上州太田七福神の寺院をめぐる 〜新春の太田市街地周辺散策〜 2021年1月11日、太田市街地の周辺に点在する7つの寺院をめぐるウォーキングに出かけました。全国各地に見られる「七福神めぐり」と呼ばれる巡礼のひとつです。7カ所の寺院の一つひとつがそれぞれ一柱の神様をお祀りしていて、それらを参詣することにより御利益をいただこうというものです。コロナ禍前の2019年までは特定の日にイベントが開催され、参加者が一斉に同じコースを歩いて行くというものでしたが、現在はそれぞれが個別に寺院を巡り、スタンプを集めていくというスタイルになっています。
スタートは東武太田駅前です。駅の近くを通過する県道2号は本町通りと呼ばれ、旧例幣使街道の宿場町を基礎とする、太田市における旧市街地にあたる場所となっています。モータリゼーションが高度に進捗し、市内に商業施設が広く分布するようになって久しい中心市街地は、往時の繁忙を無くして久しい現況です。しかしながら、鉄道の高架化を機に少しずつ土地区画整理事業も進捗していて、街の風景も変化してきています。その本町通りに面して山門のある長念寺が、今回最初に訪問した七福神めぐりのお寺でした。現在、宿場町としての遺構はほぼ残されていない旧市街地にあって、長念寺の山門のある風景は、宿場町としての太田の縁を今に伝える事物の一つであると言えるのかもしれません。 長念寺からは、市街地を流れる桜の名所ともなっている、八瀬川のほとりを北へと歩きます。八瀬川沿いは、ソメイヨシノの並木が四季折々のしなやかさを見せてくれる、穏やかな散策路ともなっています、新春のこの日は、葉をすっかり落とした枯木立となった木々の先に、金山の山並みと、次に進む大光院の開山堂の家並みを望むことができました。大光院は、「子育て呑竜」として知られる、太田市内外に知られる名刹です。開山となった僧・呑竜が捨て子や貧民の子を子弟として受け入れたことから、「子育て呑竜」とも称されます。境内で一際目を引くお堂・開山堂は、1939(昭和9)年の建立です。新春のこの日は穏やかな青空の下に開山堂を望み、香炉の線香の煙は静かに空へとのぼっていました。開山堂の北側には、七福神の一柱、弁財天を祀る弁天堂が池の中心に佇んでいます。弁天堂の脇を通る、金山西ハイキングコースを進み、金山の山頂へ進むルートからは逸れて山麓を沿うように歩きますと、墓地を経て毘沙門天を祀る金龍寺へと至ります。紅葉の名所として知られる金龍寺は、冬ざれの木々の下、凜とした佇まいを見せていました。
金龍寺からは、金山の東麓に点在する七福神の寺へは、金山を越える道路沿いを進む形となります。松林が美しい山肌を通り、自動車が頻繁に通過するドライブウェイの端を辿り、東金井地区にある玉厳寺(福禄寿)、そして永福寺(寿老人)へ。金山の斜面の上、石段の上に佇む玉厳寺、集落の只中の永福寺、それぞれに情趣ある結構が印象的な寺院です。布袋尊の曹源寺は、全国的も珍しい栄螺堂の構造を持つ名刹です。上州太田七福神めぐりでは、最北の場所であるこの寺院まで歩きますと、金山を中心に穏やかな景観が残る地域の美しさを実感します。玉厳寺から最後の大黒天の儒楽寺へは、これまで辿ってきた金山に沿った地域を戻る形をなります。葉を落とした里山や、農村的な景観を歩き、松林の美しいハイキングコースへ。この頃には夕刻となっていて、オレンジに染まる空から差し込む日差しに染まる山並みはとてもたおやかな表情を見せていました。 |
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