Japan Regional Explorerトップ > 地域文・関東甲信越地方 > 関東の諸都市地域を歩く・目次

関東の諸都市・地域を歩く


#151(奥日光編)のページ

#153(野田編)のページへ→

#152 千葉県匝瑳市から旭市へ ~九十九里平野に展開する町場を歩く~
 
 2018年11月23日、冬本番を間近に控えたこの日、千葉県北東部、九十九里浜を望む匝瑳市と東に隣接する旭市を訪れました。房総へ向かうため電車で当地を出発したのは午前5時50分頃で、その時に撮影した早暁の写真はとても鮮やかな赤橙色を呈していました。匝瑳市の中心駅であるJR八日市場駅へ着いたのは9時43分のことでした。2006(平成18)年に野栄町と合併し現在の市名になる前は八日市場市の名前で存立してきた街です。数階建ての小規模な建物が集まる駅前を概観しながら、駅をまたぐ歩道橋を渡って南へ、田園風景の中を散策を始めました。

八日市場駅前

JR八日市場駅前の風景
(匝瑳市八日市場イ、2018.11.23撮影)
八日市場駅南側

八日市場駅南側の風景
(匝瑳市八日市場イ、2018.11.23撮影)
浜堤列上の集落遠景

浜堤列上の集落遠景
(匝瑳市八日市場二、2018.11.23撮影)
集落の景観

集落の景観
(匝瑳市八日市場ニ、2018.11.23撮影)
水神宮

水神宮
(匝瑳市八日市場ハ、2018.11.23撮影)


浅間神社から見た俯瞰風景
(匝瑳市八日市場イ、2018.11.23撮影)

 九十九里浜は太平洋に面するおよそ60キロメートルにわたる砂浜海岸で、沿岸部に広大な海岸平野を形成させています。その茫漠とした平野には、海岸の進退に応じて発達した砂丘の列(浜堤列)が幾重にもわたって連なっていまして、それは九十九里浜の特徴的な地形として認められます。砂丘上は微高地とため、主に集落が立地し、砂丘と砂丘の間の低地は湿地や水田などとなっています。浜堤列は数列にもわたるため、陸側に主集落が立地し、海側の砂丘上に納屋としてつくられた家並が後に集落として分化するといったこともしばしば見受けられます。八日市場駅の南側にも、そうした砂丘の上に帯状に生まれた集落が穏やかな表情を見せていまして、北西側には屋敷林が美しく繁茂する様は、この地域の原風景を表現していました。

 浜堤間にある田んぼはすっかり借り入れが終わっていて、稲孫が枯れ色に包まれる中を北へと戻りました。単線の総武線の鉄路を超えて、八日市場の中心市街地のある一帯へと歩を進めます。下総台地の縁辺の崖を背にして街村状に成長した街並みは、竹林や照葉樹林を穏やかに纏う丘陵に抱かれながら、のびやかに広がって存在していました。匝瑳市では、そうした近隣に鎮座する古社を訪ねながら町を周遊する「八社まいり」というコースが設定されていまして、そのルートに沿って、さまざまな神社を訪問しました。浜堤中の集落には、その中心に静かに営まれていたり、低湿地を見渡す位置に祀られていたり、そして市街地にある神社は給料を石段を上った先に社殿を構えていたりと、場所に応じて多様なたたずまいを見せていたのが印象的でした。天神山浅間神社は中でも高台に位置していまして、となりある公園内の展望台からは、これまで回ってきた集落の向こうに、帯状に輝く太平洋の海面をも見通すことができました。

国道沿いの風景

国道沿いの風景
(匝瑳市八日市場ホ、2018.11.23撮影)
八日市場の中心市街地

八日市場の中心市街地の景観
(匝瑳市八日市場イ、2018.11.23撮影)
駅近くの市街地風景

八日市駅近くの中心市街地風景
(匝瑳市八日市場イ、2018.11.23撮影)
旭駅

JR旭駅
(旭市ロ、2018.11.23撮影)
旭駅前の風景

旭駅前の風景
(旭市ロ、2018.11.23撮影)
中心市街地

旭市の中心市街地の風景
(旭市ロ、2018.11.23撮影)

 八日市場地域の多様な神社を訪問しながら、中心市街地の外側をバイパス状に貫通する国道126号の沿道は、郊外型の店舗が多く出店していまして、地方都市における郊外の風景が展開していました。その国道からひとつ北を並走する旧道沿いには、伝統的な町家や土蔵などを含んだ昔ながらの街並みも穏やかに残されていまして、この町場がこの地域において古くから存立し、ローカルな商業中心として機能してきたことを感じさせました。本稿でも参照している明治期の地製図でも、台地の際に沿って通過する街道筋に線状に発達した市街地が描かれていまして、八日市場の市街地の形態は、根本的には今も昔も大きな変化はないことも確認できました。

 八日市場駅から下り列車に乗って、旭駅へと移動します。旭市の名前は、1889(明治22)年の町村制施行時に初めて現れたもので、その由来にはいくつかの説があるようです。中世期に当地を治めていた木曽義昌(朝日将軍・木曽義仲の19代子孫)を偲び詠まれた歌「信濃より いづる旭をしたひ来て 東のくにに 跡とどめけむ」に因んだとされるものが知られます。旭という語感は、東に海に面し、大海原の先に日の出を望むこの町の治世をよく表しているとも考えます。現在の旭市は、2005(平成17)年に当時の旭市と海上町、飯岡町、干潟町が合併して誕生しています。旭駅周辺は道路が直線的に整備され、土地区画整理によると思われる整然とした都市景観となっているのに対し、その南にある県道沿いの街並みは歴史を感じさせる風景が残されていまして、やはり明治期の地製図に描画されているような、街村状の市街地のフォルムが基本的には維持されてきた様子を概観することができました。

袋公園

袋公園
(旭市鎌数、2018.11.23撮影)
海宝寺

海宝寺
(旭市琴田、2018.11.23撮影)
干潟八万石の風景

干潟八万石の風景
(旭市鎌数、2018.11.23撮影)
新川

新川
(旭市鎌数、2018.11.23撮影)
新川用水機場

新川用水機場
(旭市鎌数、2018.11.23撮影)
干潟駅前

JR干潟駅前
(旭市ニ、2018.11.23撮影)

 現在の旭市の北部、水田地帯が大きく広がる一帯は、かつて「椿海(つばきのうみ)」と呼ばれる広大な湖がありました。江戸時代に干拓が進められていま目にしている田園風景へとそれは生まれ変わっています。その風景を確認しようと、旭駅から北へと足を延ばしました。公園として整備されている袋公園内の溜池は、その椿海の干拓の際流出する水を制御し、周辺地域の取水源としても利用された溜井堰の1つです。海宝寺の門前から西へ、広々とした水田の中を干潟駅まで歩きました。干拓によって生み出された水田は「干潟八万石」と呼ばれました。途中歩いた新川は、排水のために人工で掘られた河川で、その直線的な姿に、新田開発に取り組んだ往時の労力の大きさを感じさせました。八日市場から旭へとつないだ今回の訪問は、九十九里平野に広がる多様な地形に対応し、生活環境を完成させ、生業を成立させてきた、地域の発達史を濃厚に投影した地域の姿を実感させるものとなりました


#151(奥日光編)のページ

#153(野田編)のページへ→

関東を歩く・目次へ    このページのトップへ    ホームページのトップへ

Copyright(C) YSK(Y.Takada) 2020 Ryomo Region,JAPAN