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関東の諸都市・地域を歩く
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#74 野火止用水をたどる 〜武蔵野の雑木林のある風景を行く〜 後編 2010年11月27日、JR新座駅前をスタートして武蔵野の情景を今に残す平林寺寺境内林を見た後、台地上で特に水の得にくい場所であったこの地に通水すべく藩政期に造られた野火止用水を跡付けるべく歩を進めていました。伊豆殿橋から南の用水路沿いには歩道が付けられていないため、近くの市道へ迂回し、関越道の上を越えて市民総合体育館の脇から用水沿いに進みます。ルート沿いには説明板が多く設置されており、用水の歴史や態様を知ることができるようになっています。
総合体育館に隣接する総合運動公園内の緑地は武蔵野の雑木林(「ヤマ」と地元では呼ぶようです)のモデルと位置付けて、雑木林の維持管理や活用方法を紹介する場として活用しているようです。シイやクヌギ、コナラなどの雑木林は伐採され、切株からの新芽(ひこばえ)を育てて成長・再生させる、約20年の周期のサイクルで人工的に維持された二次林です。伐採した木材は薪炭材やキノコを育てるほだ木として、また落ち葉は堆肥として活用され、人々の生活を支えていました。このあたりは豊かな雑木林や畑地がよく残されていまして、往時の野火止地域の風景を彷彿させます。初冬の森はまだ緑の葉を残しながらも足元はいっぱいの落ち葉で満たされていまして、のびやかな里山の風景そのままのしなやかさに溢れているようでした。 さらに用水に沿って進みますと、桜並木の本多緑道を経て、史跡公園と呼ばれる一角へと到達しました。ここは先にご紹介した平林寺堀が野火止用水の本流から分岐する地点です。用水の復原事業により雑木林の中を軽やかに流れる用水は、小さい流れながらも確かな水音を響かせて、土地を潤していました。約1メートルという幅の用水は全長25キロメートルにわたって武蔵野の台地を流れて、地域を輝かせる存在であったのでしょうか。
史跡公園を過ぎ、さらに西へ用水を追います。西堀地区から新堀地区に向かうにつれて、畑地や雑木林の森が点在する風景は在り続けながらも、西武池袋線沿線の住宅地としての景観が次第に卓越するようになります。用水は暗渠として道路敷となる場所もある一方で、開渠となっている場所は街路樹を配した穏やかな風景として近隣にうるおいを与えているように感じられました。西武線の鉄路を越えて北へ入り、東京都下となる清瀬駅に達してこの日の活動を終えました。清瀬駅はベッドタウンにある中規模の駅として典型的な規模と機能を擁していまして、東京から放射状・環状に延びる他路線の主要駅を結ぶバス路線が多く収斂する様子が見て取れました。 野火止用水はかつての生活用水を供給するという役割を終えて、地域の歴史と豊かな自然環境を象徴する存在として大地に溶け込んでいるように感じられました。住宅団地と雑木林、蔬菜が植えられた畑地がのびやかに連続する風景は、現代の武蔵野を見つめる上で欠かせない要素となっていることを改めて実感する彷徨となりました。この地域を生活の舞台とする多くの人々にとっても、かけがえのない故郷の記憶として受け継がれていく風景なのではないかと思います。 |
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