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シリーズ京都を歩く

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7.洛北の山里を行く
第十八段 鞍馬から木の根道へ

 寂光院周辺は観光客で相変わらずごった返していました。境内は紅葉がたいへん鮮やかで、その輝いているような燃えるような赤は、訪れる観光客の目をひいて離しませんでした。どこまでものびやかで、豊かな歴史と自然とに彩られる大原の里の中をバス停へと戻ります。春、夏、秋、冬、そしてそれぞれのうちでも時間の変化、天気の変化によってもさまざまに装いを変えていくであろう、大原の姿を想像しながら、散策を楽しみました。京都バスでは、春分の日から11月30日までの日曜祝日に限り、大原と鞍馬の間を往復するバスを3便設定しています。鞍馬までの道のりをウォーキングでカバーする時間もなかったので、午後2時35分発の鞍馬行きのバスを利用することにしました。午後2時を過ぎたにもかかわらず次々と入っては出て行く観光バスや路線バスの波を掻き分けるように、鞍馬行きのバスはゆっくりと出発しました。

 野村別れで国道を西へそれ、江文峠を越えて、静原の小盆地へと入っていきます。バスの車窓から一瞥した静原の風景は、大原同様にたいへんにたおやかで、昔ながらの民家や水田やにじむようなまるみのある山並みが美しくて、たいへん印象に残りました。観光客が大挙してなだれ込まない分、大原よりもこの静原のほうがより山里としての原風景を残しているのではないかとさえ感じられました。この盆地を流れる静原川は鞍馬川の支流です。鞍馬川はやがて賀茂川に合流してきます。静原川の流れを下流へ辿りますと、興味深い場所が見つかります。それは市原町の南の町域が岩倉の町域に谷のように貫入している部分を流れる長代川が静原川の支流ではなく、岩倉川の支流であることです。長代川と静原川の分水境界は市原町の南のごくごくゆるやかな高まりです。種明かしをいたしますと、長代川はもともとは静原川の支流であったところ、長代川は最上流部を岩倉川の浸食によって削り取られてしまい、以降は長代川の支流となったということです。ある川の流路を別の川が浸食して流路を変えてしまう作用は「河川争奪」と呼ばれます。

鞍馬の景観

鞍馬門前町の景観
(左京区鞍馬本町、2006.11.23撮影)
仁王門

鞍馬寺・仁王門
(左京区鞍馬本町、2006.11.23撮影)
参道

鞍馬寺・参道
(左京区鞍馬本町、2006.11.23撮影)
石段

鞍馬寺・参道の石段
(左京区鞍馬本町、2006.11.23撮影)

 バスは叡山電鉄の線路を越えて、鞍馬へ北へと方向を変えていきます。かつて雍州路(ようしゅうじ)と呼ばれた鞍馬街道、京から若狭方面へと抜ける街道筋のひとつであったというルートは、市原の小盆地を抜けて、深い谷筋へと入ります。貴船口を過ぎ、狭い道路を経て、バスは鞍馬寺の門前町へと到着しました。鞍馬寺仁王門の前で緩やかにカーブを描いて進む街道は、さらに山奥へ、花背方面へと続いていきます。大原散策にけっこう時間を割いていたので、仁王門から由岐神社を経て九十九折の参道を向かうことは断念し、ケーブルカーにて山上を目指すことにしました。紅葉の木々が美しい仁王門をくぐり、ケーブルカーの到着を待つ観光バスの客のつくる列に並びました。

 ケーブルカーは多宝塔の前の広場へと参詣者を導きます。朱色の灯篭が並ぶ参道は鞍馬の自然の中を進みます。鞍馬山は「枕草子」にもその名が見えるとおり、古来より信仰の場、修行の場でありました。鞍馬山は「尊天」を本尊とします。尊天とは、宇宙の大霊であり大光明、大活動体」であるとし、人間をはじめとした万物を生かし存在させる存在であると説きます。そして、鞍馬山に存在する大自然をともに生かされているかけがえのない仲間であるとして大切にして、感謝の心持って接する、と。そうした鞍馬山の清浄な雰囲気は、穏やかな輝きを大自然に溶け込ませて、心安らぐ豊かな感情を自然に育ませるように感じます。本殿金堂の前からは、比叡山をはじめ、たおやかな山並みを望むことができました。秋は大自然の中にあって極上の色彩を見せていまして、錦に木々を飾っています。四季折々に、美しい姿を見せるのでしょう。



鞍馬寺・本殿金堂
(左京区鞍馬本町、2006.11.23撮影)
山並み

本殿金堂前から眺めた山並み
(左京区鞍馬本町、2006.11.23撮影)
木の根道

「木の根道」の景観
(左京区鞍馬本町、2006.11.23撮影)
奥の院

鞍馬寺・奥の院魔王殿
(左京区鞍馬本町、2006.11.23撮影)

 鞍馬山は牛若丸、すなわち源義経とのゆかりを持つことは知られていることと思います。牛若丸は幼少期を鞍馬寺で過ごしました。本殿金堂から奥の院へと向かう道程には、背比べ石や義経堂、僧正が谷不動堂など、義経にまつわる伝説が残された史跡が点在しています。僧正が谷は著名な謡曲「鞍馬天狗」とのかかわりを想起する方も多いと思います。牛若丸が天狗僧正坊から武芸を習った場所ですね。周囲は巨大な杉木立が林立する神秘的な雰囲気を漂わせていまして、確かに天狗でも出てきそうな、そんな想像も働くような気もいたします。周辺は木々の根が網の目状に剥き出しになった山道となり、「木の根道」と呼ばれます。岩盤が固く、地下に十分に根を張ることのできない地質であることから、このような奇観が形成されました。
 足元に気をつけながら山道を進みますと、奥の院である魔王殿へと至ります。650万年前、金星より地球の霊王として天降り地上の創造と破壊とを司る護法魔王尊が奉安されます。石灰岩が累々と重なる柵の内側は、日本庭園の源流といわれる磐座(いわくら)となっています(鞍馬寺のしおりにある説明書きを引用)。静かな空気の中、人々は自然の中で祈りをささげていました。風のわたる音が静かさをより際立たせます。深閑と信仰の心、それらがシンクロするような気持ちになります。魔王殿からは道は急激な下りとなり、貴船へと続いていきます。


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