第十七段 大原の里を歩く 2006年11月23日、大原を訪れました。秋の紅葉のシーズン真っ只中、休日ということもあって、大原は朝からたいへんな賑わいでした。観光用に設けられたバスプール前の駐車場へは観光バスが大挙して押し寄せては観光客をおろして、三千院へと続く細道へと導いています。人波に流されるように呂川に沿った小道を登っていきます。三千院の門前まで漬物や雑貨などを扱う土産物店がひしめいていまして、混雑がいっそう激しくなります。川に垂れるような紅葉はまさに見頃を迎えていて、カメラを構える人々も多く見受けられます。この季節、京都市内各所、紅葉の名所と呼ばれるところは例外なくこのような芋を洗うような人出となっているのでしょうか。
土産物店の脇、呂川(ろかわ/りょせん)に架けられた橋のところに、棚田を眺望できる場所があるとの看板を発見し、川を渡って小路をそれて大原をサインの示す方向へ向かってみました。導かれた場所は、大原の山里や背後の山々をゆったりと見渡すことのできる棚田の畦でした。収穫の終わった棚田は、1枚ごとに丁寧に積まれた石積みによって築かれていまして、穏やかな佇まいを見せています。そして、なんといっても棚田を介して眺望される風景がどこまでものびやかな雰囲気に包まれていることに心が癒されました。観光地化によって日々喧騒の元にある大原でも、一歩観光ルートから外れると、これほどまでに山里たる姿を見せるのかという感動も沸いてきます。もちろん、観光だけでなくて、高度経済成長による現代化や旧来の生活様式の一変による景観の変化の影響も大きくて、大原本来の山里としての景観はもはや過去のものとなっている面も大きいでしょう。しかしながら、目の前に広がる里の風景、棚田のかたち、畦に咲く野菊、やわらかに紅をさし始めた山々、どれをとっても大原の原風景を髣髴とさせる懐かしさに溢れていまして、せわしく生きる今の私たちの忘れてしまった何かを語りかけてくれているように感じられます。「大原の里」の風景、地域でひっそりと紹介されている隠れたビューポイントです。棚田の一部には菜の花などの野菜も作付けされています。緑色がみずみずしく輝きます。
呂川(支流)の景観
(左京区大原勝林院町、2006.11.23撮影) |
三千院周辺、棚田の景観
(左京区大原来迎院町、2006.11.23撮影) |
三千院周辺、菜の花畑
(左京区大原来迎院町、2006.11.23撮影) |
三千院・御殿門
(左京区大原来迎院町、2006.11.23撮影) |
三千院・聚碧園
(左京区大原来迎院町、2006.11.23撮影) |
三千院・往生極楽院を眺める
(左京区大原来迎院町、2006.11.23撮影) |
再び呂川沿いの人の多い小道にも戻って、三千院へと歩を進めます。桜の馬場と呼ばれる三千院の門前も、多くの観光客でごった返しています。見上げるような石塀と、燃えるような赤い色をまとった紅葉が美しい中、2003年秋に修復された御殿門をくぐって境内へと進んでいきます。天台山門跡寺院のひとつである三千院は、天台宗の開祖最澄が叡山東塔南谷に開いた草庵が起源であるといわれているのだそうです。時代の変遷の中で寺地は京都市中を移り変わり、明治維新までは御所の東、現在の府立医科大付属病院のところにありました。明治維新の際、昌仁法親王が還俗して梨本宮家をおこしたことに伴い、本坊を大原に復し今に至っています。
客殿から紅葉に彩られた美しい「聚碧園」庭を眺め、宸殿を経て、往生極楽院を中心に青苔の上にスギやヒノキ、ヒバなどの木立がたいへん美しい「有清園」へと至ります。阿弥陀三尊を安置する簡素な御堂のもと、鮮やかな緑がしっとしりと、広々と広がる景観は、三千院を代表するものとしてあまりに著名ですね。紅葉の季節、カエデも見事なまでに真っ赤に色づいて、緑の苔のじゅうたんの上に赤い色彩を添えていました。三千院のある山は、魚山と呼ばれます。魚山とは中国天台山に連なる山の名前で、入唐して声明を学んだ円仁が帰国後に大原の地が魚山に似ていたことから命名されたといわれます。三千院の南北に流れる呂川と律川(りつかわ/りつせん)も、声明の呂律にちなんでいます。律川の流れを上流へ、穏やかな山中を進みますと、音無の滝が静かに佇みます。
三千院・有清園
(左京区大原来迎院町、2006.11.23撮影) |
音無の滝
(左京区大原来迎院町、2006.11.23撮影) |
寂光院への道から大原の里を眺める
(左京区大原草生町、2006.11.23撮影) |
寂光院への道周辺の景観
(左京区大原草生町、2006.11.23撮影) |
大原の里・畑と水田と集落の見える風景
(左京区大原草生町、2006.11.23撮影) |
寂光院
(左京区大原草生町、2006.11.23撮影) |
大原バス停から西へ、大原の里を歩きます。高窓を備えた家、合掌造りのような大きな屋根を持つ入母屋の家、切妻の重厚な瓦屋根の家など、昔懐かしい雰囲気の民家が軒を連ねる風景は、たいへんたおやかな表情を見せています。京野菜などが栽培される畑も景観にやすらぎを与えていました。高野川へ向かって緩やかにくだっていく山里は、背後ののびやかな山並みの中にあって一段とその輝きを増していきます。山裾の抱かれるように佇む民家の屋根、集落を囲むように青い葉が輝かしい畑、高野川へ集まる小川に沿って開かれた水田。それらのひとつひとつが豊かな落ち着きと存在感とを持っているように感じられます。そして、その穏やかな景観の彼方には、先ほどまで歩いていた三千院周辺の美しい風景が遠景として重なります。それは、どこまでもやわらかで、そして、どこまでもやさしさに満ちた景色でした。
大原の里は、高野川の流域にあって、若狭へと抜けるいわゆる「鯖街道」のルートの途上にあたることなどもあいまって、古来より多くの歴史的な舞台となり、史跡の数々も枚挙に暇がないほどです。それらによって編まれてきた史実は、大原の情景をより豊かなものにしてきました。そして、そうした歴史絵巻のベースには、連綿と受け継がれてきたであろう、大原の里の極上の山里としてのたおやかさがあったのに違いありません。そう確信できる、大原散策であったと思います。大原の里の野辺を歩き、穏やかな家々を縫って進んだ先には、紅葉に彩られた寂光院が佇んでいました。
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