Japan Regional Explorerトップ > 地域文・近畿地方 > シリーズ京都を歩く・目次
シリーズ京都を歩く
←第四十三段のページへ |
第四十五段のページへ→ |
||||||||||||||||||
17.緑風典雅の響 ~2016年京都・新緑の輝き~ |
|||||||||||||||||||
第四十四段 北野天満宮から洛北の仏宇へ ~御土居の緑、風薫る山野~ 妙心寺訪問を終え、境内の南側を東西に貫通する妙心寺道を東へ、西大路へと歩きます。妙心寺道は専用の歩道のない狭い道路です。センターラインもなく、道の両側には建物が迫り、寺院や神社も随所に存在しています。京都の市街地を歩いていますと多くの道路がこのような形態の隘路となっていまして、この町が古くからの伝統を持つことを実感させます。一方、西大路通は片側二車線の大通りで、都市計画道路として昭和初期に完成した比較的新しい通りです。1978(昭和53)年までは市電通りでもあった西大路通は、伝統を持ちながらも近代都市としての政庁も標榜した京都の歩みを物語っています。
北野白梅町交差点から今出川通に入り、北野天満宮へと向かいます。松波に隣り合う大鳥居をくぐり、青い葉を茂らせて、一部に実を付けている梅の木々を見ながら本殿に進み参拝後、「青もみじ」の公開が行われている史跡御土居へ。豊臣秀吉が当時の京都をぐるりと囲む形で建造した土塁である御土居は、現在一部を除いてその遺構は残されていません。その数少ない古跡のひとつが、この北野天満宮境内に残るものです。御土居の西側における堀も兼ねていた紙屋川に沿って残されています。青々とした梅苑の前を通り、御土居へ。周りにはたくさんのカエデが生育していまして、水が滴るような深緑が、深閑そのままの紙屋川の流れにしなやかにその影を落としていました。薫風に揺れるカエデの一枝一枝が極上の輝きをまとって、瑞々しい情景を生み出していました。紙屋川に架かる鶯橋越しの眺めはまさに修景です。紅葉の季節は多くの人々で溢れる御土居ですが、ゴールデンウィーク中でも訪れる人は少なくて、御土居の上から青葉越し望む天満宮の本殿も秀麗に目に映りました。 北野天満宮の鮮やかな青葉に目を奪われた後は、今出川通を東進する市バスで出町柳駅へ向かい、そこから叡山電車で岩倉駅へと進みました。2011年秋にも訪れた岩倉・実相院へ、岩倉川沿いののびやかな田園風景を見ながら歩きます。水田には水が張られていまして、田植えが間近であることを示していました。間近に見通す比叡山の山並みも滴る青に彩られていまして、郊外の集落風景を長閑な雰囲気にさせていました。880(元慶4)年に記録が見える山住(やまずみ)神社は社殿のない磐座をご神体とした古社で、971(天禄2)年に現在の石座(いわくら)神社(岩倉上蔵町)に遷座された後は同神社の御旅所となって、自然崇拝の時代の信仰のありかたを今に伝えています。岩倉という地名もこうしたお社の存在と関係があるのでしょう。竹林や若葉がきらめく柿の木などが穏やかな景観を作り出す中、実相院を再訪しました。
洛北のゆったりとした山並みに抱かれるようにしてある実相院は、1229(歓喜元)年静基による開基の門跡寺院で、かつては天台宗寺門派(現在は単立)の三門跡のひとつでした。山の稜線を背に悠然とした結構を見せる四脚門や車寄せ、客殿は御所より下賜されたものです。ふんだんに木々が配された境内に入りますと、趣を異にする2つお庭が心和ませてくれます。石庭は背後の比叡山を借景とした悠然たる佇まいを見せていまして、枯山水庭園の慎ましやかな美が表現されていました。山際の池泉式庭園はまさに緑の小波の中に身を委ねているような清涼感に包まれる風景が広がります。秋の紅葉の季節はまた違った、清新な色彩を見せる庭は、自然と寄り添い生きてきた日本の美意識そのままの気品に満ちていました。床に新緑が映り込む「床みどり」もまた、趣ある陰影を見せていました。 実相院前からバスを利用し、八幡前バス停で下車、前年に十分にフォローすることができなかった八瀬周辺を再訪します。三宅八幡神社(八幡宮)は、遣隋使で知られる小野妹子が遣隋使として随に派遣される途上筑紫(九州)で病に罹患したため宇佐八幡に祈願したところ平癒したため、帰朝後に宇佐八幡を勧請したことが始まりと伝えられます。神社のある一帯は古来「小野郷」と呼ばれ、小野氏の居住する地域でありました。山に接する境内の木々もまた鮮烈な新緑によって彩られていまして、ここから東へ、山麓に広がる住宅地域へとその華やぎは連続していきました。水田や山の景色、こんこんと清冽な水を行き渡らせる水路などの事物に出会いながら時折蔵造りの建物がある古い家並みを過ぎてやはり美しい庭園で知られる蓮華寺へ。蓮華寺は元々は洛中にあった時宗の寺で、応仁・文明の乱以後荒廃していたものを、加賀藩の家老であった今枝近義が祖父・重直の菩提を弔うために現在地に再興したとされます。このあたりには同時期の混乱を避けて映ってきた寺院が少なくなく、実相院もそのひとつであるといわれます。書院の前につくられた池泉式の庭は緑と水と石とがバランスよく配されていまして、四季のうつろいを存分に味わうことのできる風光に溢れていました。
八瀬周辺の訪問後は、国際会館駅前を通って枯山水庭園で知られる圓通寺へと足を伸ばしました。元後水尾天皇の山荘「幡枝離宮」で、1678(延宝6)年に、霊元天皇の乳母であった圓光院殿瑞雲文英尼大師が開基となって寺に改められました。比叡山を借景とする庭園は離宮出会った頃の面影を今に伝えていました。 |
|||||||||||||||||||
←第四十三段のページへ |
第四十五段のページへ→ |
||||||||||||||||||
このページのトップへもどる シリーズ京都を歩く目次のページへもどる ホームページのトップへもどる |
|||||||||||||||||||
(C)YSK(Y.Takada)2003-2018 Ryomo Region,JAPAN |