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シリーズ京都を歩く
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20.洛中、そして洛北の山里へ ~祇園祭と晩夏の驟雨~ |
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第五十三段 洛北の山里、花脊をゆく ~のびやかな深山の里~ 洛中の祇園祭で華やぐ風景を訪ねた後は、京阪・祇園四条駅より出町柳駅へと向かい、そこから1日3.5往復(土日休日は3往復)という広河原行きの京都バスを利用し、一般的に洛北と呼ばれる地域の北縁に位置する鞍馬や貴船よりもさらに北の山里にある花脊地区を目指しました。バスの発車予定時刻の午前10時には少し余裕があったので、深い緑に包まれた糺の森と下鴨神社を再訪しました。賀茂川と高野川の合流点(ここからは表記が「鴨川」に変わる)から北へ続く原生林は、下鴨神社の参道に沿ってしなやかな社叢林を形成していまして、京都盆地の原風景たる清閑を保っていました。
午前10時過ぎ、広河原行きのバスは定刻通り、出町柳駅を出発しました。花脊には、花脊山の家と呼ばれる野外活動施設があり、海の日の三連休の初日であったこの日は、山の家を目指していると思しき子どもたちも大勢バスに乗車してきました。また、バス路線沿線には京都産業大学もあることから、学生も利用している印象でした。バスはしばらく高野川沿いを進み、北大路通で左折、高野橋を渡り、賀茂川を越えて京都市北部における結節点となっている北大路駅周辺を経て堀川通へ。御薗橋で再び鴨川を渡河し、上賀茂神社前を経て柊野分かれ交差点を通過する辺りからは、徐々に山間へと分け入る雰囲気が濃厚となっていきます。府道38号は鞍馬寺へと続く鞍馬街道を前身とするルートで、叡山電鉄二ノ瀬駅付近では府道はトンネルで貫通するものの、バスは鞍馬川が形づくる狭隘な谷筋を辿ります。鞍馬寺門前の町並みを過ぎると、いよいよ道筋は狭く険しいものへと変化していきます。杉木立の中、バスはメロディを流して進んでいきました。対向車に対し知らせる意味合いと乗車時は理解していましたが、後日調べますと、自由乗降区間ではメロディを流しているということのようでした。ハイカーが数人乗降する花脊峠のバス停を過ぎますと、一転して未知な下り勾配となり、花脊の山里へと進んでいきました。 花脊は、左京区の北部に属していますが、流域としては桂川の上流域にあたります。流域は小盆地が形成されて、川沿いに集落や農地が点在していました。大悲山口バス停で下車し、支流の寺谷川に沿って、東の山中へと歩を進めました。藤袴が可憐な花を咲かせる道路沿いは、四方を深い山に囲まれていまして、住所としては「京都市左京区」の一部であるものの、市街地とは隔絶された悠久の秘境といった風情が漂います。清冽な流れに沿って舗装された路を歩きますと、所々に家屋があって、中には茅葺きの屋根を残すものも認められました。平らに整地された草原状の土地もあって、元は水田であったか、あるいは建物が存在していた区画であったことを思わせました。さらに山中を歩きつめますと、大悲山峰定寺(だいひざんぶじょうじ)の参道入口へと到達しました。
峰定寺は、大峰熊野の修験者であった鳥羽法王の帰依を受けた三瀧上人観空が、1154(久寿元)年によってこの大悲山の中腹に堂宇を開いたことに始める古刹です。爾来、山岳信仰の聖地として脈々と受け継がれてきた山域は、その長い歴史を物語る仁王門より本堂までは、寺務所に荷物を預けて最小限の持ち物だけを携行し、純粋に参詣を行うことのみが許される場所として今日までその静寂を保ち続けています。原則として雨が降ると立ち入り禁止となる決まりとなるとのことでしたが、訪問時はまだ本降りとなる一歩前であったため、入山を許された私は寺務所に荷を解いて、大悲山の山懐に開かれた本堂へと、往復およそ30分ほどの山道を登りました。本堂は崖に張り出した、わが国最古の舞台造り建築で、その舞台からは、奈良の大峰山に対し北大峰と呼ばれる、たなびくような峰巒を眺望することができました。 峰定寺の参詣を終えた後は、同寺の御神木として古くから崇められてきた「花脊の三本杉」へと、さらに暗い山道を分け入りました。この頃から再び小雨が降る天候となり、深緑の山々はしっとりと水分を含んで、いっそうその清らかさを増しているように感じました。林道をしばらく進み、三本杉へと向かう脇道を示す看板を頼りに道を折れて、やや勾配のある山道を進んでいきますと、樹高日本一とされる三本杉が、山を削る小さな流れのほとりにその偉容を見せているのを見つけることができました。周囲の木々を制するように、堂々たる幹を生育させた三本杉は、この洛北の深い山並みの中にあってもなお、その威風を、ここを訪れる人々に与えていました。
三本杉を訪ねてその姿に圧倒されたその後は、大悲山口へと戻り、午後2時35分発の出町柳駅行きのバスを待ちました。雨は強弱を繰り返しながら降り続くようになり、濃緑の大地を優しく潤していました。帰路の車窓からは、兜造りの民家が点在する、たおやかな花脊の風景を目に焼き付けました。再び通過した花脊峠の峻険さは、花脊の大地が今日もなお、京都洛北のさらに北へ、丹波や若狭へと続く山村ののびやかさをいっそう際立たせていたようにも感じました。 |
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