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シリーズ京都を歩く
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20.洛中、そして洛北の山里へ ~祇園祭と晩夏の驟雨~ |
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第五十四段 大原、鞍馬、そして貴船へ ~成熟した緑と驟雨の果て~ 2019年7月14日は、投宿していた新大阪駅前を出発し、京都駅へと向かって、この夏の2日目の京都散策をスタートさせました。烏丸口のバスターミナルから八瀬・大原方面のバスに乗り、およそ1時間強の所要で大原のバスターミナルに到着しました。四条河原町を過ぎてからは鴨川、高野川に沿ってバスは進み、その中途でも乗車する客も多く、人気のある観光地としての大原を感じさせました。
前日に続いて時折やわらかい雨が落ちる曇天の下、三千院への参道へと進んでいきます。三千院を挟むように流下する呂川(りょせん)と律川(りつせん)の2つの川の名前は、中国から伝わった雅楽の言葉である「呂律(りょりつ)」(「呂律が回らない」の言葉の語源)に由来します。参道は南側を流れる呂川に沿って進んでいきます。柴漬けをはじめとした漬物を扱う店をはじめとした土産店や飲食店が軒を連ねる参道には、美しく緑色に成長したカエデなどの木々が川の両側いっぱいに葉を繁らせていました。呂川を渡り、大原の里の眺望が開けるスペースからは、低い雲に煙る山々に抱かれた大原の里をさわやかに見通すことができました。水田もエメラルドグリーンに染まり、柴漬けの原料である赤紫蘇も豊かな京紫色を大地に染みこませていました。 三千院をはじめ、周辺の来迎院や勝林院などの寺院はいずれも天台宗をその宗旨としています。それは、三千院が日本における天台宗の開祖である伝教大師最澄が比叡山に庵を結んだとき、東塔南谷に一堂を建立したことに始まることに大きく関係しています。天皇や公家が住職として入寺する門跡寺院で天台宗である天台三門跡でも最も古い歴史を持つことでも知られます。穴太衆が組んだという石積みが見事な御殿門をくぐり、境内へと歩を進めました。客殿に入り、聚碧園(しゅうへきえん)と呼ばれる名園をしばし観賞しました。宸殿からは三千院の振興の中枢ともいえる往生極楽院へ。苔むした姿が実に見事な有清園(瑠璃光庭)のしなやかな風景の中、簡素な阿弥陀堂のある光景は、山里にあって静かに信仰の道を深めた先人の叡智を滲ませていました。
三千院の境内を拝観した後は、呂川をさらに遡り来迎院へ、さらにその先の音無の滝を訪ねました。来迎院は円仁(慈覚大師)が仁寿年間(851~854)、仏を称える歌謡や経を読む音律として発展した「声明(しょうみょう)」の道場として開かれました。音無の滝は、声明や融通念仏宗を興した聖応大師良忍が、滝の前で修行をしたところ、声明と滝の音が呼応し滝の音が消えたという故事に因みます。周囲はまっすぐに屹立する杉木立が凛とした佇まいを見せ、清らかな水音を迸らせる滝や小流の瀬音と、夏の慈雨に濡れる緑が混然となって、晩夏の豊かな情景が現出していました。勝林院の僧坊である宝泉院の美しい庭や五葉の松、関ヶ原の合戦の前哨戦となった伏見城の戦いで数百人が自刃した伏見城の床板を天井板とした「血天井」を拝観し、昔ながらの兜造の民家が点在するたおやかな山里の風景が残る大原の里を散策しました。それらの風景を総括するように、寂光院の結構が成熟した山並みの中に穏やかに佇んで、真夏へ向かう木々の伸びやかな輝きを受け止めていました。 大原バスターミナルに戻り、静原の里を通り貴船口へ向かうバスを利用し、さらにバスを乗り継いで鞍馬へと進みました。前日花脊へ向かう際に通過していた鞍馬の町並みは、遙か丹波や若狭へ向かう道筋、京都盆地へとさしかかる中継としての要衝性を存分に感じさせる風貌に満ちていました。平入・本卯建のある町家や土蔵が細い街道筋に立ち並ぶ景観はとても壮観で、昔を語りかけるような古い建物の前には道路に沿って整えられた水路を、快い水流が落ちていました。鞍馬寺から奥の院参道を抜けて貴船へと進む路程は、2006年11月以来の再訪となりました。緑のカエデに包まれた三門をくぐり、ケーブルカーで山上へ。本殿金堂から望む比叡の山並みは、鈍色の空の色を溶け込ませたような雲に穏やかに包まれて、雨に彩られる夏の光景を演出していました。
鞍馬寺奥の院へと進むやや急峻な参道を経て、貴船神社へと到達したのと時を同じくして、本降りの雨が狭い谷間を激しく濡らすようになっていました。しなやかに木々の葉を湿らす雨滴は時折激しさを増して、境内に飾られた七夕飾りの短冊の鮮やかさを引き立てていました。大原から鞍馬、そして貴船へと進んだ彷徨は、梅雨の終わりの驟雨によってそのエピローグを迎えようとしていました。日照りの初夏から盛夏へと向かう季節の中、一時降り続ける雨音の調べは、京都の山里の深緑をよりいっそう鮮やかに輝かせていたように思われました。 |
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