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#5 奈良・佐保路をたどる 〜平城山南麓の史跡群を訪ねる〜 2013年6月30日、斑鳩の里から當麻寺周辺、大神神社付近の山辺の道へと続いた前日に引き続き、奈良でのフィールドワークを行いました。午後には新幹線で帰路に就く予定でしたので、約半日、投宿先の奈良市内の地域をたどることにしました。近鉄奈良駅から猿沢池、興福寺、奈良公園と確認しながら、東大寺転害門(てがいもん)へ。1181(治承4)年の平重衡の兵火(いわゆる「南都焼討」)、1567(永禄10)年の東大寺大仏殿の戦いによる戦火という2度の火災にも焼け残った数少ない建造物です。天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構であるとされます。転害門前から西へ、ほぼ直線状に延びる道路は一条通り。古代平城京の一条南大路に比定される道路です。往時とは比較にならないほど狭い道路となった一条通りを進みます。
現在の奈良市の中心市街地は旧平城京の東半分(左京)の外側、東大寺門前までの地区が東へ張り出して割り出された、「外京」と呼ばれた地域に相当します(なお、平城京の中心である平城宮(内裏)跡は、近鉄線で近鉄奈良駅へ向かう途中に通過しますが、そこでの風景が彷彿とさせるとおり、かつての平城京の中心部分は現在の奈良市街の郊外にあたります)。一条通りの前身である一条南大路は、平城京の北東端を画する東西の通りでした。通りの北に広がる丘陵地域は佐保山と呼びます。五行説で東は春にあたることから、都の東方にある当地で信仰されていた心霊は春の女神「佐保姫」として呼びならわされるようになったといいます。春のような穏やかな山容を見せる佐保山をなぞるように進むこのルートは、「佐保路」と呼ばれるようになりました。東方を振り返りますと、通ってきた街並みの向こうに若草山の緑が重なる風景を見通すことができました。 自動車の行き違いが困難なほど狭い通り沿いには、平入の昔ながらの町屋造りの家並が続いています。程なくして、穏やかに水流を迸らせる佐保川を渡ります。橋を渡ってすぐ右手には聖武天皇陵・光明皇后陵への参道の入口があります。佐保山は奈良時代における天皇や皇族の陵墓が多く営まれる場所でもあります。法華仲町交差点からは道幅も広がり、徐々に現代都市における郊外の幹線道路沿いへと景観が遷移していきます。佐保小学校の手前から北へ入りますと、そこは桜の並木が続く興福院(こんぶいん)の参道でした。佐保山の緑に包まれるようにしてある山門は、夏空の元にあっても質実な佇まいを見せていました。興福院の西、奈良高校の西側には狭岡(さおか)神社が鎮座します。記紀にその名がある狭穂姫(さおひめ、垂仁天皇皇后)伝説ゆかりの地として知られます。
狭岡神社からは、奈良市が定めたハイキングコース「歴史の道」の道標を頼りにさらに西へ歩を進めて、不退寺へ。仁明天皇の勅願により在原業平が建立しました寺院です。涼やかな森の中に溶け込むような境内は、ノウゼンカズラやユリの花が呈するしっとりとした色彩が、在原業平が父である阿保親王の菩提を弔ったとされるこの寺の由緒もあいまって、清らかな印象を与えているように感じられました。 「歴史の道」は不退寺の西側を南北に通過する関西本線に沿って北へ進んだ後歩道橋で鉄路を越えて国道24号の端に到達、すぐ西のウワナベ古墳の濠の南側を通過していきます。近接するコナベ古墳や磐之媛命陵(ヒシアゲ古墳)とともに、これらの古墳を東端とする佐紀盾列古墳群を構成しています。このあたりは佐紀丘陵と呼ばれる山並みにあたります。平城京跡の北側にあたり、これらの古墳群や秋篠寺、西大寺あたりを含めて「佐紀路」と紹介されるエリアの一部となります。墳丘の緑と濠や溜池の水面、周辺の水田や郊外の集落景観、彼方の緩やかな山並みが寄り添うように重なって、それらは歴史を重ねてきた地域のたおやかさとして昇華していきます。佐保丘陵と佐紀丘陵は、総称して「平城山(ならやま)丘陵」と呼ばれます。その低山帯は北の京都府南部へと連続し、そこを越えるルートは京都と奈良とを結ぶ要路となってきました。現在では大規模なニュータウンが開発されたり、運動場などが整備されたりして、都市郊外における典型的な土地利用がなされる場ともなっています。
ウワナベ古墳から南へ、佐保路の西にあたる海龍王寺へ。境内地は平城京北東隅にあたり、鬼門を守るために光明皇后の勅願により731(天平3)年に建立されたとする伝承があるようです。西金堂(重要文化財)は奈良時代の造営で、堂内にはやはり奈良時代の五重塔として唯一現存する五重小塔が保存されています。法華寺は総国分寺であった東大寺に対し総国分尼寺として位置づけられた尼寺です。訪れたときは、境内は夏の草花のみずみずしい輝きに溢れていまして、古来よりその宗旨を守り続ける道場としての静かさを感じさせました。 法華寺を後にしてからは、広大な草原となっている平城宮跡に復元された大極殿などを一瞥して、大和西大寺駅に到達しこの日の活動を終えました。都市化が進む古都奈良にあって万葉の時代の風雅を残す佐保路をめぐる道程は、夏真っ盛りの暑さの中にあっても、一服の涼やかさを纏っているように思われる道のりでした。 |
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