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#7 紅葉の談山神社 〜談(かたら)いの山、装う〜 2013年11月30日、宇陀松山散策を終えた私は、国道370号を南下し、関戸峠の手前で西へ車を走らせました。大峠トンネルを抜けますと、そこは桜井市域、多武峰(とうのみね)周辺の地域です。桜と紅葉の名所として知られる談山神社(たんざんじんじゃ)が鎮座する場所として知られます。神社周辺の駐車場に車を止めて、境内へと進みました。
談山神社は、大化の改新を実行した人物として知られる中臣(藤原)鎌足を祭神とする神社です。645(皇極天皇4)年5月、中大兄皇子と中臣鎌足は多武峰の山中に登り、当時専横的な政治を行っていた蘇我蝦夷・入鹿親子打倒に向けての談合を行いました。この故事にちなみ、この山を「談(かたら)い山」や、「談所ヶ森」と呼ぶようになったことが、談山神社の社号の由来です。駐車場から眺める周囲の山々は、彼方に高くそびえていまして、遥かな昔、歴史を大きく動かすこととなった話し合いの場となったこの地の山深さを想起させました。 駐車場からは一度石段を下りる形となり、谷筋に沿って土産物店やホテルが立地する一帯を進みますと、程なくして神社へと続く上りの石段の入口へと到達します。この参道一帯はたくさんのカエデの木に覆われる格好となっていまして、立ち並ぶ石塔の奥ゆかしさも相まって、山奥の古刹の情趣を醸し出しています。11月も下旬となって、暦の上では初冬ともいえる時節もあり、木の一部はかなり落葉が進んでいるものも認められましたが、まだ十分に鮮やかな紅葉が全山に残っていて、その美しさを楽しみながら、石段を踏みしめました。タイトルに本来は秋の季語である「山装う」を初冬の訪問記に使用したのは、そうした経緯からです。黄色から橙色、朱色へと、変幻自在のコントラストを見せるカエデの色彩は、筆舌に尽くしがたいものでした。
石段を登り切りますと、左手に十三重塔があるのが目に入ります。現存のものでは世界唯一の木造の十三重塔であるとのことで、現在目にしているものは1532(享禄5)年再建のものです。荘厳な結構の楼門へ進み、その楼門と一体の建物となっている拝殿へ。拝殿は京都の清水寺の舞台のような構造(舞台造)になっていまして、南側には高欄のある回廊が設けられていまして、軒からは金属製の灯篭が吊るされているのが特徴です。畳張りの拝殿内部からは、御簾越しに境内の紅葉を望むことができまして、雅やかな絵画を見ているかのようでした。回廊に出ますと、灯篭と紅葉とのコントラストもまた格別で、初冬の柔らかな日差しに包まれた境内は、いのちが織りなすこの上ない輝きに満ち溢れているようでした。 拝殿の北側には、祭神・中臣鎌足を祀る本殿が鎮座します。 三間社隅木入春日造の建物は、極彩色模様や花鳥などの彫刻が施される豪奢な設えながらも、華美になり過ぎず、質実な風合いも感じさせます。現存の社殿は、1850(嘉永3)年の再建で、日光東照宮造営の手本となりました。
紅葉に彩られる境内を散策した後は、境内の南の高台にある南山荘あたりへと歩いて、談山神社の全景を眺めました。談らいの山、多武峰に寄り添うように社殿が広がる談山神社を包み込むように、カエデの朱色が山肌を彩ります。部分的には葉を落とした木もありまして、冬へと進む季節の移ろいもまた感じる風景でした。紅葉の最盛期には、極上の真朱に染まる山並みを望むことができることでしょうか。やがてすべてが沈黙する季節を前に、最後のきらめきを空へと返すカエデの姿を目に焼き付けて、多武峰の散策を終えました。 紅葉の名所は全国津々浦々にあって、それは人の手の及ばない自然のままの風景であったり、またそうした自然を借景に風雅を表現したものであったり、多様な表情を見せています。談山神社と多武峰が見せるそれは、山間の密やかさの中に、古代の史実を溶け込ませた凄みを帯びたものであるようにも感じられました。 |
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