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そして、近江路へ・・・


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#9 長浜散策 〜黒壁に沸く湖北の中心都市〜

 2009年12月6日、彦根市街地のフィールドワークを終え、列車で約20分の長浜駅へと到着しました。途中の米原駅からは北陸本線となるものの、運転系統としてはこの長浜駅までは「琵琶湖線」の愛称で運用されており、多くの電車が米原駅から長浜駅(さらに福井県の敦賀駅方面)まで直通しています。琵琶湖を中心に地域区分がなされる滋賀県では、長浜を中心とした琵琶湖の北から北東にかけてのエリアを湖北地域と称しています。

 野坂山地や伊吹山地、そして琵琶湖によって周囲を画される当該エリアは、東日本から西日本へと至るメインルートの一つであるとともに、北陸方面へとつながる日本海沿岸への道筋にもあたり、古来より交通の要衝として多くの歴史の舞台となりました。かつては多くの自治体が存在したこの地域でも、いわゆる平成の大合併により再編成が進んで、現在では長浜市と米原市の2つの自治体に集約されています。

長浜駅前

JR長浜駅前(伊吹口)
(長浜市北船町、2009.12.6撮影)
豊公園

豊公園・長浜城歴史博物館
(長浜市公園町、2009.12.6撮影)
琵琶湖

長浜城歴史博物館から琵琶湖を望む
(長浜市公園町、2009.12.6撮影)
伊吹山方向

長浜城歴史博物館から市街地・伊吹山を望む
(長浜市公園町、2009.12.6撮影)

 長浜は、戦国期に武功のあった豊臣秀吉に対し織田信長がこの地域を所領に与えたことにより、秀吉がこの地に築城したことが町場としての端緒となりました。その際、元来「今浜」と呼ばれた地名を、信長から1文字を拝領し「長浜」に改めたとも言われています。江戸期は藩政の所在は彦根に譲り、長浜自体は在郷の中心都市、北国街道の宿場町として生きることとなります。水上交通が現在以上に主要な交通手段として活用されていた近代初頭までは、琵琶湖の湖上交通の主要拠点の一つとしても機能していたようです。現在の東海道本線を建設するにあたり、大津から琵琶湖東岸までは当初鉄路を設けず舟運で代替することとなったことから、長浜駅は電車と船便との中継点としての役割も担いました。

 駅を出て、豊臣秀吉と石田三成の「三献の茶」と呼ばれるエピソードを紹介する像を確認しながら、豊国神社を一瞥してこの町と秀吉との深いかかわりを垣間見て、豊公園(ほうこうえん)へと向かいました。豊臣秀吉が一時居城としていた長浜城は江戸時代に入って廃城となり、その城跡に1909(明治42)年に完成した公園です。その名前も秀吉の名前に因んだものです。日本のさくら名所100選にも選定される公園には、模擬天守が復元され、長浜城歴史博物館として開放されています。階上からは、穏やかな琵琶湖や伊吹山をはじめとした周囲の山々、春は桜色の海のようになるという眼下の公園や市街地が穏やかに眺められました。

長浜鉄道スクエア

旧長浜駅舎・右奥の現駅舎は同じデザイン
(長浜市北船町、2009.12.6撮影)
舟板べい

舟板べい
(長浜市朝日町、2009.12.6撮影)
旧北国街道

旧北国街道の景観
(長浜市朝日町、2009.12.6撮影)
旧開知学校

旧開知学校
(長浜市元浜町、2009.12.6撮影)

 赤い落葉が敷き詰められ初冬の風合いを呈する公園を後にし、1882(明治15)年、北陸線の始発駅として完成し、現在は日本最古の現存駅舎を保存する長浜鉄道スクエアや明治期に明治天皇行幸の際の行在所(休憩所)として建設され以後主に迎賓館として使用された和風建築である慶雲館などをめぐりながら、再び北陸線の東側に出て、北の市街地へと進みました。船の部材を壁面に使用した「舟板べい」の家屋が残るエリアを通り、旧北国街道を歩いてきますと、次第に古い町並みが残る一角へと誘われます。車がゆっくり走れば行き違いができるほどの道幅の旧街道に、平入切妻の町屋が立ち並ぶ景観は、近代初頭の町の姿を色濃く投影しておりまして、城下町として時代を過ごした彦根の街並みとは好対照をなしていました。
古い建造物の中にも八角塔屋を擁する旧開知学校や、高札場のあった札の辻に隣接する黒壁ガラス館(旧第百三銀行、「黒壁銀行」の名で親しまれた)などの洋風建築の意匠を取り込んだ建物も目を引きます。この町がいかに経済的に豊かであったかを示す事物であるとともに、京文化の影響を感じさせました。

 上述の「黒壁ガラス館」は、建物の取り壊しを前に、伝統的な町並みを中心市街地の活性化に生かそうと設立された第三セクターによってガラスのアートギャラリーとして再生されたものです。同団体はその後も一帯の古建築の再生に取り組み、美術館、工房、ギャラリー、レストランなどへと転用して、ガラス工芸に特化した一大展示エリアへと発展させました。黒壁スクエアと呼ばれるこの一角の誕生により、レトロな町並みと現代的なアートスペースとの調和が評判を呼び、長浜市街地は滋賀県下における有数の観光スポットとなっています。この日も多くの観光客が歩いておりまして、街は活気にあふれていました。

安藤家屋敷

北国街道 安藤家
(長浜市元浜町、2009.12.6撮影)
黒壁ガラス館

黒壁ガラス館と大手門通りのアーケード(右奥)
(長浜市元浜町、2009.12.6撮影)
黒壁美術館

黒壁美術館前の景観
(長浜市元浜町、2009.12.6撮影)
駅前通り

駅前通り・長浜駅口交差点付近
(長浜市元浜町、2009.12.6撮影)

 大手門通りのアーケード街や常夜燈を模したゲートなどの意匠も楽しみながら、町並みを散策し駅へと戻りました。この日のうちに帰宅する必要があったため、長浜の町歩きの時間が限られていたこともあり、大通寺や曳山博物館などの立地するエリアまで歩くことができなかったのは心残りでした。近年多くの中心市街地が停滞・衰退を余儀なくされ、その活性化への対応が叫ばれて久しい中、伝統的建造物群の豊富なストックを生かしながら、現代アートに着目して多くの観光客を呼び寄せることに成功した長浜の事例は先進的な取り組みとして全国的に知られることとなりました。こうした活動が、地域の経済的浮揚に与するとともに、個々の資産が歩んだ歴史的な道程や価値を正しく伝えるメルクマールとしても十分に機能させていくこともまた重要であることのようにも思います。

 琵琶湖東岸から北岸にかけての中心都市をめぐる今回のフィールドワークは、交通の要衝として枢要な位置を占め続けた地域の姿を濃密に感じながら、その基盤の上に成長した町場のさまざまな事物を穏やかに見つめるものであったようにも思えました。長浜駅からの帰路、ステンドグラスで鮮やかに整えられた「長濱驛」の駅標に加え、東口を「伊吹口」と表示しているサインにも目がとまりました。西口は「琵琶湖口」と呼ばれているようでした。

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