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りょうもうWalker
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#8 葛生の町並み 〜セメント工場とともに暮らす町〜 2005年2月28日、葛生町は田沼町、佐野市とともに合併し、新しい「佐野市」となり、行政上は「葛生」の名前はなくなりました。本「りょうもうWalker」では、佐野市街地、飛駒地域と、旧佐野市域及び旧田沼町域の地域文をご紹介していましたが、旧葛生町分のそれをこの合併までについに掲載することができませんでした。身近な地域ながら、なかなか訪問することができず、本当に心苦しい思いでおります。今回の合併を期に、ささやながら、手持ちの葛生地域の写真をご紹介しながら、葛生のことについてご紹介したいと思います。 国道293号線を足利から北へ進むと、越床トンネルから佐野市域となります。国道は、赤見、田沼の町を通過しつつ、やがて東武佐野線の線路と寄り添うようになり、秋山川の流域の河谷の雰囲気が徐々に濃厚になっていきます。葛生原人の人形が、葛生の町に入ったことを告げてくれます。町おこしに長年一役買ってきたこの「原人」は、学術的に疑問が提起されているものの、マラソン大会や古代体験村など、現在でもこの地域の観光の一翼を担っているようですね。
葛生の町を見渡しますと、セメント工場の煙突と鉱石を運搬するダンプが多いことが印象に残ります。葛生は、古くから石灰の町として栄えていたようで、その歴史は360年以上前、慶長年間に始まった農業用あるいは土蔵建築用の石灰(いしばい)製造から始まり、大正期に大規模なドロマイト鉱床が発見されてからは、近代的な設備も整い、セメント・砕石・ドロマイトの生産量も増大して、「鉱都葛生」としての礎が築かれたのだそうです。現在でも、その豊富な石灰・ドロマイトの埋蔵量を背景として、関東では最大規模の産地となっており、採掘が盛んに行われています。 上掲の写真は、2004年2月に、葛生の町の北に接する高台にある、嘉多山(かたやま)公園から葛生の市街地を撮影したものです。町の「ランドマーク」として、セメント工場の建物群はあまりにも強いインパクトを持っています。しかし、私はそれ以上に丘陵に抱かれた葛生の町の穏やかな佇まいを見て、この地域の美しさ、たおやかさを見つめなおすことができたように思いました。豊かな緑と清らかな水に抱かれた山間地では、おいしい「蕎麦」を食べさせてくれる店もあると聞いています。葛生の山里はうるおいと癒しに満ちています。 嘉多山公園からの眺望を楽しんだ帰路、町を迂回するように建設された国道293号線のバイパスを離れて、市街地を通る旧道を通過してみました。街路沿いには歴史を感じさせる建物も多く、この地域が古くから栄える場所であったことを示唆しているように思いました。春の命萌え出ずる葛生の町や山や里を、この足でしっかりと歩いてみたいなあ、今から心躍っています。 |
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