Japan Regional Explorerトップ > 地域文・関東甲信越地方 > シリーズさいたま市の風景・目次
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下大久保から五関、在家にかけての地域は、今でこそサイクリングロードが整備されている堤防上から見れば一段低い土地のように思われますが、集落は周囲よりも幾分標高の高い、荒川に沿って南北に連なる自然堤防の上に作られているようですね。すぐ東側には鴨川の水路もあり、古くから水害に悩まれたであろう地勢に思いをいたしました(また、現在の荒川の西の湯木町、飯田新田、塚本町辺りに、さいたま市が一部はみ出していますが、その西側の川越、富士見両市の境にある川の流路跡も、荒川がその名の通りの荒れる川であった−それは現在も時として同じなのでしょうが−を髣髴とさせます)。
旧大宮市域に入ると、県道は島根交差点のT字路にぶつかって、北西に向きを変えます。この付近からは、微高地に連なる集落の様子と荒川土手まで広がる低地に展開する水田の様子が眺められます。一方、東に目をやれば、畑や水田に点在する新旧の住宅地・大小の工場の景観の彼方、さいたま新都心と大宮ソニックシティの高層ビルが悠然と屹立する姿もまた望むことができるようになります。島根(この「島根」ですが、微高地を「島」と見做し、その付け根のような地勢であることからの命名であるように感じました)から三条町に向かうにつれて、かつての浦和市域内で見られた、比較的落ち着いた集落景観が、次第に雑然とした風景を呈するようになります。片側一車線で歩道スペースもそれほど無い県道の両側に、工場やガソリンスタンド、パチンコ店などが林立し、その狭い県道を大型車両を含むあまたの車両がひっきりなしに通過する環境は、旧市境を超えてあまりに突然の変化だったように感じられました。このあたり、大宮、浦和両市の都市計画の差異が多分に影響しているのではないかとも考えられました(この点については、稿を改めて検証する予定です)。それを象徴していたのが、三条町地内に立地する某製薬メーカーの工場と県道との間のわずかなスペースに住宅が2件建てられ、しかも工場のすぐ西に隣接して学校が建てられているという、冷静に考えるとあまり一般的ではない施設配置の光景でした。
その一方で、三条町の県道端に昔懐かしい(地方ではよく見かけますが)野菜無人販売所があり、新鮮そうなほうれん草などが並べられていました(思わず2束買ってしまいました。1束なんと100円!小松菜はなんと1束50円!)。また、付近の畑には、かき菜、小松菜、大根、ほうれん草、長ねぎ、アスパラガス、ブロッコリー、サニーレタス、レタス、春菊、チンゲン菜、茗荷、みぶ菜、キャベツの蔬菜に加え、色とりどりの菊に、夏みかん、梅、柿まで植えられていました。また、別の畑ではこの他に里芋、蕗、人参も植えられていました。いずれも小規模なため自家消費が中心と思われれますが、この地域の、首都圏近郊の野菜の供給地としての性格の一端を見た気がいたしました。
JR指扇駅は、周囲にややまとまった商店街を擁し、ロータリーも一応敷設された、都市地域にあるありふれたターミナルでした。ちょうど上下の列車が同時に到着しており、どっと改札を出る人の波に、乗り遅れまいと逆に構内に急ぐ人の波が甚だしく入り混じり、この地域の雑然とした都市化の態様をどこか物語っているようにも感じられました。 |
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