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シリーズ・クローズアップ仙台
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#81 2011年冬仙台概観 〜青葉城址と中心部を歩く〜 2011年12月23日、歳の瀬の仙台を訪れました。この日の仙台は、晴天ながら時折奥羽山脈を越えて雪雲が流れ込み、強い風に乗って雪が降るという、冬型の気圧配置が強まった時に典型的な天候に終始していました。3月の東日本大震災発生から初めての年越しを迎える街は、復興への思いと共に、輝きにあふれた未来へ向かおうとするあたたかさに満ちているように思いました。
大きなクリスマスツリーが飾られていた仙台駅を早朝に後にして、この年の9月に震災後すべてが再開されていた地下鉄東西線の工事の様子を確かめながら、薄暗い市街地を歩き始めました。青葉通を西へ進み、東二番丁通との交差点に建つ仙台ファーストタワーを一瞥しながら、青葉通一番町へ。ここでも設置予定の地下鉄駅の工事が進捗中で、南側では低層部分に商業テナントを入居させたタワーマンションの建設による再開発事業が始まっていました。青葉通一番町は仙台における伝統的な繁華街のひとつである一番町通(東一番丁)のアーケードが貫通するものの、もうひとつアーケード街である中央通から歓楽街である国分町へ続く動線上からはやや外れた位置にあるため、中心市街地では相対的に人通りの少ないエリアでした。新たな交通網の建設と再開発がもたらす影響を注視したいエリアであるように思われました。 地下鉄東西線はそのまま青葉通下を通過し、大町交差点付近に新駅が設けられます。ここでも工事が進捗している状況が見て取れました。中央通のアーケード街からそのまま西へ直線的につながるルートは大町と呼ばれ、仙台城下町における一大メインストリートであったことは拙稿でも何度か触れてきました(青葉通は戦後の開通であり、大橋に直接つながっていたのはこの大町にあたります)。大町交差点東の大町入口には、火の見櫓風の「伊達やぐら」と呼ばれる街路灯が建ち、「御譜代町」と呼ばれ商業特権を持ち栄えた地域の伝統を伝えていましたが、この時は地下鉄工事のため一時撤去中でした。家庭裁判所跡地にタワーマンション「ライオンズタワー仙台大手町」が立地をみるなど、広瀬川や西公園に近い住環境から、都心外縁の住宅地域としての色彩が強まっている街区の推移も見守りたいと思います。
広瀬川を大橋で渡り、地下鉄の架橋部分を一瞥しながら、青葉城址へ。石垣に甚大な被害が出た城址への車道は訪問時はまだ車両通行止めが続いており、歩行者のみ侵入できる状態でした。午前8時前に到着した仙台城本丸跡からは、早暁の市街地を穏やかに眺望することができました。眼下を流下する広瀬川の流れや経ヶ峰の稜線、七ツ森の特徴的な山容、そしてそうした豊かな自然に囲まれた大都会仙台の街並み。震災による惨禍を乗り越え、前へ進もうとする地域の姿を目に焼き付けました。 仙台駅に戻った後は松島に向かいフィールドワークを行い(詳細は地域文「三景巡礼」をご覧ください)、その後は駅前を散策した後、SENDAI光のページェントのメイン会場となる定禅寺通へ向かいました。この年のページェントは震災の津波により保管していた電球がすべて使用不能となったため開催が危ぶまれていましたが、電球の一部を借り受けることで実施にこぎつけた経緯がありました。震災からの復興を後押しするメッセージがふんだんに盛り込まれ、またクリスマス間近とあってパレードなども盛大に行われていて、いつも以上にぬくもりに包まれたページェントになっていたように思いました。 2011年の仙台は、東日本大震災を抜きにしては語れない、試練の1年となりましたが、そこからの復興を通して人々の絆や地域の豊かさがどれほどまでに偉大で、強固なものであるかを再確認することともなったように思います。七夕や光のページェントの開催はそうした地域の力の結実を象徴していたように感じました。 |
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