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シリーズ・クローズアップ仙台

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#96 中島丁・角五郎周辺を歩く 〜広瀬川に臨む閑静な住宅地〜

 2015年12月21日、地下鉄東西線の諸駅をめぐりながら国際センター駅周辺に到達した私は、澱橋を渡って八幡一丁目方面へと歩を進めました。尚絅学院高校の東側には、北西方向から広瀬川に流れ込む「へくり沢」と呼ばれる小流が深い谷間を刻んでいます。澱橋の北側を急坂で上る道は、そのへくり沢を江戸時代に土橋で越えて完成した道筋を踏襲しています。そのためこのルートは「切通(きりとおし)」と呼ばれ、この土橋に続くルート(八幡一丁目と柏木二丁目の境界となっている北西〜南東方向に伸びる道)は「土橋通」という名前になりました。この土橋通から切通へと向かう場合クランクになっていまして、この箇所を通過する路線バスが苦労して澱橋へと進む姿が印象に残っていましたが、最近このクランク部を解消する短絡路が完成していまして、狭い路地が交錯してた地域の様子が一変していました。

澱橋

澱橋
(青葉区川内澱橋通、2015.12.21撮影)
広瀬川(澱橋より)

澱橋より広瀬川と仙台市中心部を臨む
(澱橋より下流方向、2015.12.21撮影)
澱橋より上流方向

澱橋より青葉山丘陵を臨む
(澱橋より上流方向、2015.12.21撮影)
澱橋北詰

澱橋北詰、切通の通り
(青葉区広瀬町、2015.12.21撮影)

 尚絅学院と宮城第一高校の間を東西に進む道路は「中島丁」と呼ばれます。現在は八幡一丁目や同三丁目などの一部となっていますが、中島丁は住居表示実施前まではこの道路の両側一帯の町名としても生きていました。中島丁の名前は、前述の「へくり沢」が北を流れ、南は広瀬川に向かって河岸段丘が発達するため、その間が中島のようであったことによると考えられているようです。広瀬川を挟んで仙台城に隣接する土地であったため、藩政期は仙台藩士が居住する場所でした。

 仙台城下では武士の住む町は「丁(ちょう)」、町人の住む町は「町(まち)」と呼び分けていたことは本稿でも何度かお話ししてきました。中島丁もそうした武士の町であったことを地名が物語っています。現在は前掲の学校や聖ドミニコ学院のほかは、個人住宅やマンション・アパートなどによって占められる閑静な住宅地となっていまして、武家地であったことの面影はほとんどありません。旧天賞酒造の庭園「天賞苑」を同社の移転後に公園として整備した中島丁公園は、同社の店蔵を移築した「八幡杜の館」もあって、伝統的な景観をわずかならに残していました。その公園の名前に「中島丁」が採られていることも、住所表記ではなくなっても、この地名が地域に根付いていることを示しています(中島丁は町内会の名称にも使われているようです)。

切通

へくり沢を渡る切通の部分
(青葉区八幡一丁目、2015.12.21撮影)
切通

切通から東方向、へくり沢の谷を望む
(青葉区広瀬町、2015.12.21撮影)
土橋通から切通へ直通する道路

土橋通から切通へ直通する新道路
(青葉区八幡一丁目、2015.12.21撮影)
中島丁

中島丁の景観
(青葉区八幡一丁目、2015.12.21撮影)

 この地域のメイン通りである八幡町(旧国道48号)から中島丁に向かっては河岸段丘崖があって下り坂となり、中島丁の南を東西に走る角五郎丁の通りに向かっても河岸段丘崖があってもう一段下がる形となります。中島丁よりもさらに仙台城に近い角五郎丁には、城の防衛のために旗本足軽が配置されていまして、幕末には洋式兵術の訓練のための講武所が設けられました。この角五郎(つのごろう)という一風変わった語感を持つ地名は、この町に居住していた人名に由来するとする説と、地形的な特徴(角のように曲がった地形)からとする説とが唱えられているようです。現在は広瀬川の清らかな流れに臨む静かな住宅地となっていまして、東北大学などのキャンパスにも近いことから、学生向けのアパートも多い場所ともなっています。

 角五郎丁の通りを東へ、静かな佇まいの住宅地を、右手に広瀬川がつくる崖状の地形と緑とを眺めながら歩を進めます。広瀬川の対岸は青葉山の丘陵地に隣接していますので、彼方にはそうした緑のスカイラインも重なってとてもみずみずしい印象です。澱橋の下をくぐり、現在は暗渠となったへくり沢のつくる谷地形を確認しながら、広瀬川に沿った街区を進んでいきます。道路は広瀬川の河岸段丘崖を上り、宮城県知事公館前へと至ります。公館前から北へ進む道路は新坂通です。公館の正門が仙台城内にあった門を移設したものであると伝えられるいうことは、既にご紹介しているとおりです。


八幡杜の館

八幡杜の館
(青葉区八幡三丁目、2015.12.21撮影)
中島丁公園

中島丁公園
(青葉区八幡三丁目、2015.12.21撮影)
角五郎丁

角五郎丁の景観
(青葉区角五郎一丁目、2015.12.21撮影)
広瀬川

角五郎から望む広瀬川
(青葉区角五郎一丁目、2015.12.21撮影)
へくり沢

へくり沢の谷筋
(青葉区広瀬町、2015.12.21撮影)
広瀬川

宮城県知事公館下から広瀬川を望む
(青葉区広瀬町、2015.12.21撮影)

 中島丁から角五郎にかけてのエリアは、広瀬川右岸の川内地域が仙台城から文教地域へと移り変わる中で、それに呼応するかのように地域的な特徴を遷移させてきました。現在の地域は、幹線道路からは一定の隔絶性がある一方でで広瀬川の自然に至近に位置していることで、のびやかな住宅地としての今日を迎えることとなりました。これからもそうした特質を維持しながら、大都市に隣接した良好な住宅地域としてその歩みを進めていくこととなるのでは無いかと思われます。


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