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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜
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#43 国立を歩く 〜都市と田園が隣り合う湧水の町〜 (国立市) 2011年9月18日、まだ残暑厳しいJR国立駅前より街歩きを始めました。南口ロータリーからまっすぐに伸びる街路は「大学通り」の通称で呼ばれる、桜やイチョウの並木の美しいシンボルロードです。中央の「円形公園」には、国立駅南口の旧駅舎(三角屋根の形状で親しまれた)が中央線の連続立体交差事業のため解体保存され、工事終了後に現地に復元する計画がある旨案内が掲げられていました。大学通りのほか南西(富士見通り)、南東(旭通り)と、駅から放射状に街路が伸びる風景は、ここが学園都市として計画的に造成された街を基礎に成長してきたことを端的に表現しています。富士見通りはその名のとおり、通りの向こうに富士山を見通せまして、この日も商店街の街灯が並ぶ彼方に、うっすらと富士山を望むことができました。上述の円形公園は「関東の富士見100景」のひとつに選定されています。
大学通りを南へ進みます。車道と歩道の間にたっぷりとスペースをとってもうけられている並木部分には、サツキなどの低木や草花もふんだんに植栽されていまして、ちょっとした森のような表情を見せています。明治期に作られた地勢図を見ますと、現在の国立駅周辺は松や楢などの林が続く一面の原野として描かれています。国立市域の伝統的な町場は甲州街道沿線の谷保地域でした。大正末期より東京商科大学(現在の一橋大学)を誘致することによって学園都市として分譲が始められ、現在の美しい町並みの礎となりました。一橋大学のキャンパスを抜けますと、通りの周辺は住宅地域へと移り変わります。整然とした雰囲気は、地域一帯に学校があることと、そのために風営法の適用を受ける施設等が立地できない「文教地区」の指定を受けていることによるところが大きいようです。そうした住宅地と緑の並木道とが調和した空間は、JR南武線の谷保駅前まで続いています。もともと大きな町場や集落がなく開発が容易であったことと、適切な都市計画により美しい市街地が生み出された好例であるように思います。谷保駅付近のアプローチはややカーブを描き、緩やかな下り坂となってロータリーへと導かれています。 自由通路で駅の南側に出て、大きなロータリーのない住宅地域を進み甲州街道(旧国道20号)沿線に到達します。目の前に谷保天満宮の杜が鮮やかに目に入ります。903(延喜3)年鎮座とされる東日本最古の天満宮として知られます。甲州街道から天満宮への参道は下りとなっていて、多摩川の河岸段丘(立川崖線)に沿って社殿が造営されていることが分かります。このように街道から坂道を降りる格好となっているのは、もともと甲州街道は崖線の下を通過していた名残であるとのことです。穏やかな緑に包まれた境内は、豊富な湧き水によっても潤されています。北西にある厳島神社が祀られる池は大変に清涼で、「常盤の清水」と呼ばれるその湧水は東京の名湧水57選にも選定されています。湧出した水は境内に沿って流れ、それに従って集落の中を進みますと、豊かな水田地帯へと導かれました。用水路や田んぼや畑がのびやかに広がる風景は実にのどかで、ここが都心近郊の住宅地域の至近であることをしばし忘れさせました。
水路がこんこんと水を流す田園地帯を西に歩きますと、中世の城郭跡である城山(じょうやま)公園に行き着きます。このわずかな地形の高まりは、立川崖線よりもさらに一段低い位置にある河岸段丘(青柳段丘または青柳崖線と呼ばれます)によるもので、この付近から国立市西部の青柳地区にかけて崖線が連続しています。公園は歴史保全地区として古民家が復元移築されていたり、地域の原風景としたの雑木林としての位置づけがなされたりされているようでした。青柳崖線の下をなぞるように流れる水路をさらに西へ辿りますと、やはり東京の名湧水57選のひとつである「ママ下湧水群」へと至ります。「ママ下湧水公園」として整備される泉はほんとうに清らかな水を豊富に生み出していまして、このあたりの田園地帯や段丘崖の斜面林に潤沢な用水を供給していました。 滝乃川学園の中を流下する矢川の流れに沿いながら段丘崖を上り、再び住宅地域の中を北へ戻りながら富士見通りを経て国立駅へと戻りました。整然とした住宅地域が広がり、多摩川に向かうように美しい田園が展開する国立は、都市と自然とがまさに調和した、輝きにあふれた町であるように思いました。国分寺と立川の間にあって、両方の1字ずつをとって命名された国立は、計画的な市街地開発によって落ち着きのある学園都市として存立し、国分寺にも立川にも無い、素晴らしい都市と自然とを共存させた魅力を備えた町となっているようでした。 |
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