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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

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#64 東京スカイツリーとその周辺 〜下町に突き抜けるランドマーク〜 (墨田区)

 2017年3月4日、外房訪問を終えて午後3時過ぎにJR錦糸町駅へと到着しました。錦糸町駅周辺は、墨田区南部における商業中心として多くの商業施設や店舗などが集積するエリアです。ここから四ツ目通りを北上し、東京スカイツリーを目指しました。駅前の中小のビル群の先に、スカイツリーが突き出して、その瀟洒なフォルムを見せていました。



JR錦糸町駅前から東京スカイツリを望む
(墨田区錦糸二丁目、2017.3.4撮影)
錦糸公園

錦糸公園
(墨田区錦糸四丁目、2017.3.4撮影)
北十間川

スカイツリー前の北十間川
(墨田区押上一丁目、2017.3.4撮影)
見上げるスカイツリー

見上げるスカイツリー
(墨田区押上一丁目、2017.3.4撮影)
都心方向

都心方向(スカイツリー天望デッキより)
(墨田区押上一丁目、2017.3.4撮影)
都心方向に沈む夕日

都心方向に沈む夕日(スカイツリー天望デッキより)
(墨田区押上一丁目、2017.3.4撮影)
隅田川下流方向

隅田川下流方向(スカイツリー天望デッキより)
(墨田区押上一丁目、2017.3.4撮影)
浅草・吾妻橋周辺

浅草・吾妻橋周辺(スカイツリー天望デッキより)
(墨田区押上一丁目、2017.3.4撮影)

 四ツ目通りの東側に面してある錦糸公園は、関東大震災後の復興事業の一環で計画された都市公園で、1928(昭和3)年に完成しています。繁華街として多くの人々が集まる錦糸町エリアにあって貴重なオープンスペースであることから、この日もたくさんの市民が訪れていたようでした。街路樹のハクモクレンは純白の花弁を開こうとしていまして、穏やかな春の日射しが差し込む町並みは、どこまでも早春のまばゆさに包まれていました。公園の北側にある商業施設「オリナス」は、かつてその場所に立地していた精工舎(セイコー)の工場跡地を再開発して2006(平成18)年に完成しています。錦糸町駅北側は旧国鉄用地が広がっていた歴史があるなど、どちらかというと産業エリアとしての性格が強い地域でした。近代以降、東京が近代都市として成長していく過程で、当時の都心地区の外縁に位置していたこのエリアは、比較的広大な用地を取得しやすい環境であったことが影響していたものと想像されます。

 交通量の多い通りをさらに進みますと、建物の間から覗くスカイツリーが徐々に大きくなっていきます。北十間川に架かる京成橋へと到達しますと、スカイツリーは目の前にあって、その長大な姿で眼下の町並みを見下ろしていました。スカイツリーとその周辺は、スカイツリーを中心に、「東京ソラマチ」と呼ばれる商業施設やプラネタリウム、水族館、そしてオフィスなども入居する超高層ビル「東京スカイツリーイーストタワー」からなる複合施設「東京スカイツリータウン」として再開発が進められて、新たなランドマークとなっています。スカイツリーのある場所も、もともとは東武線沿線における貨物駅跡地で、産業地域としての歴史をここでも感じ取ることができます。根元から見上げるスカイツリーはとても雄大で、だんだんと光量を少なくしていく春の夕刻の空にもくっきりとしたシルエットを見せていました。南を流れる北十間川の周りは、遊歩道や親水テラスなどが整えられていまして、水辺と市街地と、スカイツリータウンとを結びつける空間として町並みに潤いを与えていました。

隅田川上流方向

隅田川上流方向(スカイツリー天望デッキより)
(墨田区押上一丁目、2017.3.4撮影)
江戸川方向

江戸川方向(スカイツリー天望デッキより)
(墨田区押上一丁目、2017.3.4撮影)
南方向

南方向(スカイツリー天望デッキより)
(墨田区押上一丁目、2017.3.4撮影)
スカイツリー天望デッキ内

東京スカイツリー天望デッキ内
(墨田区押上一丁目、2017.3.4撮影)
富士山を望む

富士山を望む(スカイツリー天望デッキより)
(墨田区押上一丁目、2017.3.4撮影)
夕空と富士山

夕空と富士山(スカイツリー天望デッキより)
(墨田区押上一丁目、2017.3.4撮影)
浅草・吾妻橋周辺の夜景

浅草・吾妻橋周辺の夜景(スカイツリー天望回廊より)
(墨田区押上一丁目、2017.3.4撮影)
東京タワーと夜景

東京タワーを望む(スカイツリー天望回廊より)
(墨田区押上一丁目、2017.3.4撮影)

 スカイツリーに入り、入場者の列に並ぶこと1時間15分ほどでようやくエレベーターに乗ることができて、展望台へと進みました。第一展望台(天望デッキ)から、専用エレベーターで向かい、らせん状に周回しながら眺望する第二展望台(天望回廊)へ、芋を洗うような観覧者とともに、日没から夜景へと変化する東京の風景をしばし観賞しました。富士山もうっすらと望むことができた大東京のパノラマは、副都心や再開発が集約的に進捗したビル群が卓越するスポットを覆い尽くすように展開する市街地の偉容と、それらの間を縫うように辿る河川や水路、そして建造物の彼方に追いやられるようにして横たわるような東京湾とが一体となったものとして目に映ります。それらの構成要素の一つひとつは、江戸開府以降間断なく歩んできた都市・東京の生き様そのままの力強さと包容力との結晶であるように感じられました。


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