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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

#91(小平編)のページ

#92 新宿駅西口から鍋屋横丁へ 〜名刹への参詣道として栄えた風景〜 (新宿区・中野区・杉並区)

 2020年12月21日、真珠駅西口に降り立ち、地上に出て青梅街道沿いに歩を進めました。新宿駅西口は地下まで貫通する「ボイド」と呼ばれる空洞があり、地下駐車場と接続する螺旋状のランプウェイがあることが、景観上の特色の一つとなってきました。その構造も、西口の再開発により姿を消そうとしているとのこと。渋谷駅周辺もそうですが、大都市は常に変化を続けることが宿命なのだと改めて実感します。

新宿駅西口ロータリー

新宿駅西口ロータリー
(新宿区西新宿一丁目、2020.12.21撮影)
西新宿の景観

西新宿の景観
(新宿区西新宿八丁目、2020.12.21撮影)
成子天神社

成子天神社
(新宿区西新宿八丁目、2020.12.21撮影)


淀橋交差点の風景景
(新宿区北新宿二丁目、2020.12.21撮影)
淀橋

淀橋
(新宿区北新宿二丁目、2020.12.21撮影)
淀橋から見た神田川

淀橋から見た神田川
(中野区/新宿区、2020.12.21撮影)

 現在の新宿の町の礎は、甲州街道に設けられた宿場町「内藤新宿」です。新宿駅東口一帯にあたります。内藤新宿で青梅街道が甲州街道から分岐し、多摩川上流の青梅を目指します。新宿の高層ビル群が建つ中を直線的に進む街路は、JR山手線のガード下をくぐり、西新宿の高層ビル街の北側へと接続します。街道は緩やかな下りになり、神田川に架かる淀橋へ。この坂は成子坂と呼ばれ。街道沿いに位置する成子天神社の名のもとともなっています。淀橋は、三代将軍家光の命名によります。橋の名は今の北新宿(柏木村)と西新宿(角筈村)が合併した際の町名となり、やがて東京市への併合後は淀橋区となって、戦後は牛込区・四谷区とともに合併し新宿区となっています。

 淀橋を渡り、さらに青梅街道を歩きます。街道の北には、真言宗宝仙寺の伽藍があります。境内には中野町役場跡の石碑があり、昭和初期まで中野町役場(区役所)がこの場所にあったことを伝えていました。青梅街道沿いは多くの高層建築物によって充填されていますが、明治期の地勢図を確認しても、内藤新宿からこのあたりまで家並が途切れず、街村上の景観が続いていたことが認められます。鍋屋横丁交差点で、街道が二股に分かれているのも、近世以来全く変わっていません。この場所から分岐する道筋は、杉並区堀ノ内にある妙法寺へ参詣するための道路でした。この横丁の分岐には鍋屋の名の茶店があり、横丁の名前の由来になりました。そしてこの鍋屋横丁、通称鍋横はこのあたりでも随一の町場として栄えてきました。現在こそ、中央線の駅が中野駅を名乗り、東京メトロ新中野駅が鍋横にあってこちらが新しいようにも感じますが、実際はこの鍋横こそが、かつての中野村(地勢図上では「中埜村」の表記になっている)の中心でした。鍋横界隈の商店街の喧噪は、そうした歴史の上で理解しなければ成りません。

山手通りの風景

山手通りの風景
(中野区中央一丁目、2020.12.21撮影)
宝仙寺

宝仙寺
(中野区中央二丁目、2020.12.21撮影)
鍋屋横丁交差点

鍋屋横丁交差点
(中野区中央三丁目、2020.12.21撮影)
鍋屋横丁の町並み

鍋屋横丁の町並み
(中野区本町四丁目、2020.12.21撮影)
お題目石

お題目石
(中野区本町四丁目、2020.12.21撮影)
十貫坂上交差点

十貫坂上交差点
(中野区本町四丁目、2020.12.21撮影)

 鍋屋横丁交差点を左に折れて、実際に妙法寺の参詣道を歩いてみることにしました。近代までは道筋に存在していたものは少々の家屋と、畑地そして茶畑が卓越するといったものであったようです。東京の大都市圏内に完全に組み込まれていることもあって、そうした土地利用はほぼなくなって、現代的な中小の雑居ビルやマンション、戸建ての住宅などの続く風景となっています。鍋屋横丁の南には「十貫坂上」交差点があり、その近くに妙法寺への参詣道を示す石碑(お題目石)が残されています。十貫坂は中野通りを下るものではなく、坂上から東、和田方面へ下る坂を層呼ぶのだそうです。十貫坂を辿るゆるやかな区道を進んでいきますと、環七通りに到達しました。環七通りを北へ少し移動し、妙法寺東の交差点に至り、実際の参詣道の道筋と、十貫坂の道筋とが多少異なっていることに気付かされます。

 実際の参詣道は、和田帝釈天通り商店街となっていて、その名のとおり、和田帝釈天を中心に昔ながらの商店街が続くとおりとなっていて、環七通りを介して西側の妙法寺商店街に相対していました。環七通りは後出の街路ですから、双方の商店街は妙法寺の門前商店街として一体のものであったのでしょうか。穏やかな商店街を抜けますと、松やその他の落葉広葉樹を中心とした並木のある、妙法寺の門前へと至りました。四代将軍家綱綱寄進による金剛力士像が安置される仁王門は、1787(天明7)年の再建。入母屋造・二層の楼門は質実ながら堅牢な印象を与えます。正面の祖師堂には厄除け祖師像が祀られていまして、この寺が「厄除けのおそっさま」と呼ばれ崇敬される所以となっています。

和田帝釈天通り入口

和田帝釈天通り入口
(杉並区和田二丁目、2020.12.21撮影)
妙法寺への参詣道

妙法寺への参詣道
(杉並区堀ノ内三丁目、2020.12.21撮影)


妙法寺・仁王門
(杉並区堀ノ内三丁目、2020.12.21撮影)
妙法寺祖師堂

妙法寺・祖師堂
(杉並区堀ノ内三丁目、2020.12.21撮影)
高尾山薬王院

高尾山薬王院
(八王子市高尾町、2020.12.21撮影)
高尾山頂から見たダイヤモンド富士

高尾山頂から見たダイヤモンド富士
(八王子市高尾町、2020.12.21撮影)

 妙法寺を参詣した後は、路線バスで阿佐ヶ谷駅へと到達し、そのまま中央線で西へ高尾駅まで進んだ後、高尾山口まで向かいました。この日は冬至で、高尾山から眺める日没がちょうど富士山の頂きと重なる「ダイヤモンド富士」が見られる日でした。日没を間近に控える中、リフトで急いで山頂へ向かって、日没前後の多度ガレ時のオレンジ色が世界を支配する時間に、この上の内輝きを見せる夕日を、富士山のシルエットとともにこの目にすることができました。

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