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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

#90(玉川上水編)のページ

#91 玉川上水駅から新小平駅へ 〜上水と街道を軸に発達した地域〜 (立川市・小平市)

 2020年12月2日、東松山でのウォーキングを終えた私は、東上線から川越市街地へ向かい、西武線で小平駅へ。そこから乗り換えて、11月7日に福生からのフィールドワークで終着点となった玉川上水駅へと至りました。多摩都市モノレールとの連絡駅となっている同駅には、宙空をモノレールが通り過ぎる風景の中に、郊外然とした住宅地域としての佇まいが濃厚な印象を受けました。モノレール線の開業に併せて芋窪街道が駅付近で地下を貫通することになり、その動線から駅前が分離されたことの影響も大きいのかもしれません。駅の南側を通る玉川上水沿い、玉川上水緑道を下流に向かって歩いて行きます。

玉川上水駅前

玉川上水駅前
(立川市幸町六丁目、2020.12.2撮影)
小平監視所

小平監視所
(立川市幸町六丁目、2020.12.2撮影)
玉川上水

玉川上水、清流復活事業で通水された景観
(立川市幸町六丁目、2020.12.2撮影)
玉川上水緑道

玉川上水緑道の風景
(立川市幸町六丁目付近、2020.12.2撮影)
小林家住宅

小林家住宅(川越道緑地内)
(立川市幸町四丁目、2020.12.2撮影)
住宅地の間に開かれた畑地

住宅地の間に開かれた畑地
(立川市幸町四丁目、2020.12.2撮影)

 玉川上水沿いの一部、福生市から杉並区にかけての約24キロメートルの区間は、都立公園の「玉川上水緑道」として整備がなされています。上水の歴史的な景観を活かした遊歩道は、周囲の住宅地や畑地ののびやかな風景も相まって、とても美しい散策路となっていました。初冬のこの季節は、緑道を覆う欅などの木々からふる落葉が絨毯のように積もっていまして、より穏やかな自然の景色の中を歩くような気分になります。緑道には所々玉川上水の水面のレベルまで降りられる箇所があります。羽村の取水口から江戸市中まで水を届けるため、絶妙な高低差でつくられた上水は、基本的に台地を掘り込んでつくられています。水面近くまで降りると、藩政期の困難な土木工事の結果完成した一大ライフラインの態様をも間近に観察することができまして、巨大都市を存立させようとした人々の矜持のようなものさえ感じられます。

 玉川上水駅から下流へ、東大和南高校の南付近にある「小平監視所」で多摩川から取水された水はすべて上水施設に通水され、これより下流は下水道処理施設で処理された水が清流復活事業によって流されています。上水の周辺は穏やかな住宅地の間に畑地が広がる武蔵野における典型的な郊外の風景が広がります。かつての武蔵野の原風景であった雑木林も一部に残されていまして、川越道緑地には農家建築として立川市の有形文化財指定を受ける小林家住宅も移設されていまして、都市郊外の住宅地域となった当地における、豊かな文化的な景観を今に止めているように感じられました。

小川橋交差点

小川橋交差点
(小平市小川町一丁目、2020.12.2撮影)
小川用水

小川用水、彫刻の谷緑道の風景
(小平市小川町一丁目、2020.12.2撮影)
日枝神社

日枝神社
(小平市小川町一丁目、2020.12.2撮影)
小平上宿交差点

小平上宿交差点
(小平市小川町一丁目、2020.12.2撮影)
小平神明宮の参道

小平神明宮の参道
(小平市小川町一丁目、2020.12.2撮影)
小平神明宮前の水路

小平神明宮前の水路
(小平市小川町一丁目、2020.12.2撮影)

 住宅地のあわいに畑があって色濃い葉物野菜が植えられる中を進み、小川橋交差点へ。ここから玉川上水の本流から分かれて、その分流である小川用水に沿って、小平の市街地方面へと歩を進めました。玉川上水は、上水道として江戸に生活用水を供給しただけでなく、江戸中期の新田開発期以降は多くの分水が建設されて、農業用水としても、台地の開発に大きな役割を果たしました。そうした分流のひとつである小川用水も、親水的な施工がされる場所があって、小川橋から間もなくの区間は「彫刻の谷緑道」として整えられて、穏やかな木々や彫刻などを眺めながら用水増を散策できるようになっていました。雑木林の樹相を活かした緑地公園も随所に認められて、初冬のこの日はカエデなどが鮮やかに色づいていました。

 やがて、小川用水に沿った立川通りは青梅街道に突き当たります。交差点は「小平上宿」を名乗っていまして、ここが街道筋の宿場町であったことを今に伝えています。青梅街道から分岐している立川通りの道筋は明治時代の地勢図にも見える古くからの通りであるようです。この街道沿いに開かれた宿場の名前は、小川宿でした。これまで辿ってきた小川用水の名前にはじめ、付近の町名や駅名などに見えるこの「小川」の名は、この一帯を開発した郷士・小川九郎兵衛の名に因みます。明治に入り、小川新田と呼ばれたこの地域の村々が合併した際に、小川村の「小」と、台地上で平らであったことから「小平村」とと命名され現在に至ります。宿場町の西端、立川通りと青梅街道の分岐点近くにある日枝神社は、1658(万治元)年に山王宮の宮司と小川九郎兵衛が協力して江戸麹町の日枝神社を分祀し祀ったものと伝わります。

小平神明宮

小平神明宮
(小平市小川町一丁目、2020.12.2撮影)
小川寺

小川寺
(小平市小川町一丁目、2020.12.2撮影)


旧小川宿の景観
(小平市小川町一丁目、2020.12.2撮影)
青梅街道近くの畑地景観

青梅街道近くの畑地景観
(小平市小川町一丁目付近、2020.12.2撮影)
青梅街道沿いに残る土蔵

青梅街道沿いに残る土蔵
(小平市小川町一丁目、2020.12.2撮影)
JR新小平駅

JR新小平駅
(小平市小川町二丁目、2020.12.2撮影)

 青梅街道を東へと歩を進めます。昔ながらの民家や、雑木林を纏うような家並も残る穏やかな景観も、ここが歴史ある宿場町を基礎としていることを実感させます。地域の鎮守である小平神明宮の周辺にも、小川用水の流れを思わせる水路が修景されて、往時を偲ばせます。宿場町を流れた用水は町を挟み込むように南と北に分かれて通水されていたようで、その水系は明治期の地勢図に書かれたままに、現在でも町を流れているようでした。開拓時に開山されたと伝わる小川寺(しょうぜんじ)の結構や、畑地の広がる風景などを観察しながら、東京郊外のまちとして変化しながらも、開拓地としての姿を色濃く残す小平の町並みを確かめました。西武国分寺線の踏切を越えて、程なくして到達したJR新小平駅でこの日の活動を終えました。玉川上水の通水で劇的に変わった環境と、歴史的な街道とを軸に開発が進められた小平市域の景観は、江戸の後背地としての立ち位置がいかに強固なものであったかをも示している言えますね。

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