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関東の諸都市・地域を歩く
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#178 東松山・まなびのみちの冬 ~比企丘陵、自然と都市との調和を歩く~ 2020年12月2日、東武鉄道のウォーキングイベントで再び東上線・高坂駅前は、冬ざれた鈍色の空の下にありました。東松山駅の一駅南にある高坂駅は都幾川や越辺川がつくる低地と、その西側に広がる比企丘陵のつくるなだらかな丘陵地系とに挟まれた台地上にあります。そうした高燥な地盤を活かし、ニュータウンや大学のキャンパスなどが丘陵地を切り崩して開発されて、同駅は田園地帯におけるニュータウンの玄関駅として1日2万人強の乗車人員を持つ駅として存立しています。ニュータウンなどへの玄関口として開けた西口からは、「まなびのみち」と呼ばれる遊歩道が整備されています。西口の線路脇に沿うように進み、緩やかに線路から離れながら、駅の西側の丘陵地の端を進む形となっています。これは、1955(昭和30)年10月から1984(昭和59)年7月まで運用されていた、セメント運搬用の路線の廃線跡を利用したコースであるためです。
遊歩道は、住宅地と畑地とが穏やかに重なる田園風景の中を進みながら、時折雑木林のあわいへと溶け込んだり、北を流れる都幾川の低地を望んだりと、周辺の風景に多少に変化を加えつつ続いていきます。関越道の手前付近の集落内までで廃線跡を辿る部分は終わって、そこからは高速道路に沿った市道の脇を葛袋交差点まで歩きます。そこから高速道路のガード下を通り、「化石と自然の体験館入口」交差点から、ゆるやかな坂道を辿り、流通関連の事業所が建ち並ぶエリアから丘陵内の山道を経て、再び廃線跡を踏襲するコースへと至りました。丘陵地からセメントを採掘していた箇所から敷設されていたため、遊歩道も丘陵地の縁を滑らかに続いていきます。初冬の木々はかなり葉を落としていて、地面はたくさんの葉が落ちていました。北側は依然として都幾川のつくる低地と水田とが広がる風景となっていて、日本の農山村地域ではしばしば見られるように、集落はより水の得やすい、丘陵に沿って分布している様子も見て取れます。 当時の採掘場は沿線に2カ所あり、ひとつは先ほどの産業団地付近であったようです。そして線路の終着地点でもあるもうひとつの採掘場跡は現在清澄ゴルフ倶楽部のある場所で、廃線跡をたどってきた「まなびのみち」はその手前で市道に合流、以降は既存の道路や山道を利用するものとなっていきます。まずは2つのゴルフ場の間を通る車道を経て、小規模な峠道を越え、南側の岩殿地区へと抜けていきます。穏やかな落葉樹林となっている山はしっとりと茶色に色づいて、地面にたっぷりと落葉を供給しています。谷間に入り込むような小規模な谷地は水田として利用されて、その畦を辿っていきますと最奥部には谷間を堤で堰き止めてつくられたとおぼしき沼地(「入山沼」と呼ばれているようでした)があって、谷地田と里山がつくる典型的な風景に出会いました。
入山沼からは、「市民の森」と名付けられた、瑞々しい里山の中を歩きます。360度見渡してもカシやシイなどの木々がしなやかに色づいている初冬の森は、どこまでも多彩で、一年の活動を終えた慈愛のような静かさに溢れていました。降り積もった落葉がクッションとなりとても歩きやすい山道を堪能したあとは、岩殿観音の名で親しまれる名刹・正法寺へ。718(養老2)年開基の境内には、鮮やかに黄葉するイチョウの木があって、依然として灰色の冬の空に目映いほどの色彩を与えていました。観音堂背後の石崖には多くの石仏が安置されていまして、冬の寒い空気の凜とした佇まいを見せていました。 高坂駅への帰路は、一部「まなびのみち」の公式ルートからは外れますが、正法寺の参道を降りて進み、鳴かずの池周辺の風景を一瞥しながら、丘陵地から台地へ、緩やかに下る道筋を辿りました。まなびのみちのルートととなる通りをそのまま進めば、先述した大東文化大学のキャンパス脇や、ニュータウンへとつながる町の雰囲気を認めることができます。四季折々にさまざまな表情を見せるであろう里山の風景に、郊外ののびやかな町並みが重なる高坂周辺エリアは、今日でも多くの人々を癒やす魅力を存分に秘めているように感じられました。 |
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