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#12 太田市内散策(1)毛里田から強戸へ 〜自然と史跡の広がる大地〜 コロナ渦の現況を鑑み、地元太田市を中心とした地域を改めて掘り下げるフィールドワークに取り組むこととしました。2020年3月30日、ソメイヨシノが満開を迎え、野山の新緑が芽吹き始める季節、太田市の北部を構成する毛里田(もりた)地区から強戸(ごうど)地区へと散策しました。韮川駅近くから北上し、国道122号の東金井の六叉路を北西へ入ります。韮川駅西から続くこのルートは、桐生の中心部と小泉(現在の大泉町)とを結ぶ近世からの道路であったようで、周囲にバイパス道路が整備された現在でもその多くの区間でローカルな生活道路として機能しています。
徐々に若葉が輝きを見せつつある金山の山稜を眺めながら、東金井、東今泉の集落の中を進みます。蔵なども並ぶ家並みを進みますと、西側に「さざえ堂」の名で知られる曹源寺が見えてきます。1798(寛政10)年創建の建物は、外観は二層立てに見えますが、中に入ると螺旋状の回廊が巡らされ、右回りに道内を一周しながら出口に戻る特殊な構造になっていまして、それが「さざえ堂」の名の由来となっています。2018(平成30)年には国の重要文化財に指定されています。市道はやがて県道316号(太田桐生線)に出ます。県道をそのまま北上し、北関東自動車道をくぐった先には、巌穴山古墳。古墳の造られた時期は、7世紀中頃と考えられており、終末期の古墳としては太田市内で現存する唯一の方墳です。古墳の西には、大谷幹線水路沿いにソメイヨシノが植えられていまして、春には美しい桜色の並木が出現します。 田園地帯を歩き、矢田堀町の集落内へ。寺院が美しい景観をつくる道を歩き、集会所や諏訪神社のある一帯へと近づきますと、土塁のような高まりのある一角に出ました。道路も一部クランク上になっており、かつての城郭の跡地ではないかと直感しました。果たして、この場所には中世、金山城の出城である矢田堀城があった場所のようで、土塁のそばには鎌倉期以来の土豪・薗田氏と関わりのある「矢田堀勘兵衛屋敷名号角塔婆(市指定文化財)」も存在していました。県道をさらに北上し、丸山交差点の先の丸山宿へ。丸山宿の穏やかな景観を歩きながら、西側のカタクリ群生地へ。この時季はちょうどカタクリが開花する季節で、薄紫色の可憐な花が丸山の北側斜面にいっぱいに咲いていました。
新田堀幹線用水沿いへと続くこのルートは、現在こそ県道足利伊勢崎線ののルートから外れた市道に過ぎませんが、かつてはこちらの道がこの幹線道路の主線でした。用水路沿いには地蔵尊や道標が置かれていまして、ここがかつては主要な道筋で、多くの人々が通行していたであろうことが類推できました。桜や芝桜などが満開の北部運動公園を経て北関東道の太田強戸パーキングエリアで小休止した後は、菜の花が田園風景の端で美しく咲き乱れる北金井町に進み、八王子丘陵の中に整備されたハイキングコースをたどりました。石切場跡へ続くコースもあって、変化に富んだ小道は木々の芽吹きがわずかに進んでいる状況で、すがすがしい散策を楽しむことができました。小さな峠を越えて到達した菅塩町の菅塩沼は、まさにソメイヨシノが満開を迎えていまして、まだ葉が薄い周辺の山々に先駆けて、春の彩りを周囲に届けていました。 ※この後は東武桐生線・治良門橋駅まで歩き、この日の主な活動を終えています。 |
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