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関東の諸都市・地域を歩く
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#156 水戸市街地、春爛漫の町並みを歩く ~千波湖から偕楽園、水戸城跡へ~ 2019年3月9日、早朝に地元太田駅を出発し、足利で朝焼けの渡良瀬川を越えて両毛線へ。小山駅で水戸線へと乗り継ぎ、久しぶりに水戸へとやってきました。午前9時前に到着した水戸駅前は快晴の春空の下にありました。駅前のペデストリアンデッキ上には春の草花が色とりどりの輝きを見せており、随所に置かれた梅の鉢植えも、紅白の花を華やかに咲かせていました。水戸駅のある常磐線は、水戸の中心市街地が乗る台地の縁をなぞるように進むため、北口は坂を下った凹地のような場所となるのに対し、南口は低平な大地に市街地が続く景観となります。水戸OPAやエクセルみなみといった商業施設がランドマークとなる南口側から、市街地の散策をスタートさせました。
南口を出て程なくすると、千波湖から流出する桜川のほとりへと行き着きます。川沿いは川の名のとおり桜並木が整えられていまして、周囲の市街化された景観に穏やかさを与えていました。南から合流する逆川まで進んで駅南通りへと出てさらに西へ歩きますと、茨城県近代美術館の前へと誘われました。美術館の玄関までのアプローチはゆるやかな上りになっていまして、同館が台地の際に立地していることを示唆していました。北側には千波湖があり、湖の北側は水戸市街地が広がる台地となります。このふたつの台地に切れ込む谷地がつくる低地に千波湖は静かに水を湛えています。湖畔をめぐる遊歩道を歩きながら、千波湖がつくる水辺の風景を観察しました。対岸の台地上の市街地もくっきりと望むことができます。 千波湖西側の一帯は、水戸市街地に隣接する偕楽園の本園部分から拡張された「偕楽園公園」のエリアを広く含みます。桜川と沢渡川とが合流する付近を中心に、田鶴鳴(たづなき)梅林や猩々(しょうじょう)梅林、窈窕(ようちょう)梅林といった、水戸藩時代から受け継がれた施設名や自然地形に着想を得た、美しい名前の梅林が春らしい紅白のグラデーションをつくっていました。梅のあたかかな花はのびやかな花の波となって偕楽園の本園部分の崖下の斜面林へとつながって、春暖のしなやかな温もりをリレーしているように目に映りました。台地下を行き過ぎる県道や常磐線を一気に跨いで本園へとつながる偕楽橋の上からも、千波湖の美しい水面と、拡張部分の梅園とを、快く眺望することができました。偕楽園の本園は、梅の名所として知られ、かつ日本三名園のひとつとしても著名なこの庭園のハイライトともなるエリアです。眼下に借景として千波湖を見下ろし、西側の梅林のつくる紅白の絨毯へとつながっていく風景は、筆舌に尽くしがたい艶やかさに溢れています。今日、ほとんどの訪問者は東側の入口から直接梅林に入りますが、偕楽園の本来の表門は西側の竹林や杉林を抜けた先に位置しています。表門から森に包まれた「陰の世界」から梅林の「陽の世界」へ進むことで、思索と快楽とを享受できるという精神が、偕楽園の作庭にはなされているとされるのだそうです。表門から鬱蒼とした木立の下、吐玉泉から太郎杉を参観しながら梅園へ、偕楽園の情操施設としての陰陽の世界を体感しました。
表門から出た先は住宅地となっており、程無い場所に県立歴史館の敷地が存在しています。旧水戸農業高校本館の建物が残る場所は同校のかつての校地で、旧水海道小学校の洋風建築も移築されていまして、落ち着きのあるオープンスペースとして供されてました。国道50号に出てからは東へ、水戸の中心街を歩いて行きます。先述のとおり、水戸市街地は千波湖を望む台地上に展開していまして、北側は那珂川が浸食した低地と隣り合います。東西に細長い台地の上の市街地は、藩政期には自然の谷地形を利用した堀によって複数の区画に分けられていたようで、現在でもかつての堀の部分がわずかに凹地になっていることを観察することができます。大工町から泉町へと進み、そこから市街地を北に入って、三角錐を積み重ねたような形が特徴の水戸におけるランドマークである、水戸芸術館のタワーへと進みました。そのメタリックな概観は春の光を受けてしなやかに輝いていました。内部に登ることもできまして、階上からは水戸市街地周辺を一望の下に見渡せました。 再び国道50号沿いの中心市街地へと戻り、部分的にアーケード状の屋根もある歩道を進んで、現代における水戸の町並みを体感します。中央郵便局前の交差点を左折しますと、右手に旧水戸城三之丸の西端に掘られた空堀の跡を右手に進むようになります。かつての水戸城は台地の東の端につくられていまして、戦国期の城柵から佐竹氏の支配を経て、藩政期は水戸徳川家の藩政の拠点として過ごしたことは周知のことと思います。その敷地跡は県庁三の丸庁舎のほか、警察署や小学校、高校などの公共施設が立地するところとなっています。裁判所の前を通り城跡北側の市道に出て東へ、かつての藩校・弘道館方面へと歩を進めます。弘道館の北側は公園となっており、ここでも梅が多く植栽されて見頃を迎えていました。鹿島神社や孔子廟、八卦堂などを訪ねた後、梅祭り期間中で開門されていた弘道館の正門をくぐり、有数の学問の拠点として栄えた弘道館へ。「時に厳しく、時に寛容に」という趣旨の「一張一弛」の思想で建設されたという学府は、その心を落ち着かせる部分を担った偕楽園とともに、水戸学の神髄を体現する施設として、幕末の政局に大きな影響を与えました。
弘道館の見学後は水戸城跡をさらに東へ周回し、大手門の復元工事場所を通過しながらかつての城内の様子を修景した地域を巡りました。堀の下を進む水郡線を越えた先の水戸第一高校の敷地の薬医門を一瞥しながら水戸駅方面へと台地の坂を下っていきます。水戸黄門誕生の地とされる場所に建てられた小さな神社を訪ねますと、水戸駅は目と鼻の先です。水戸の春を象徴する梅香に溢れた町並みを歩きながら、質実剛健な水戸の気風を存分に感じる散策となったと思います。 |
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