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関東の諸都市・地域を歩く
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#166 八ッ場ダムとその周辺 ~ダム建設で一変した渓谷の風景~ 2019年9月27日、試験湛水を目前に控えた八ッ場ダムを訪れました。残暑の日射しが山間のダム建設地にも照りつけていまして、吾妻川の河谷を覆う空はどこまでも屈託のない空色に支配されていました。周囲の山並みも輝きに溢れていまして、谷間の一角を塞ぐダム本体の躯体の真新しいコンクリートの色を際立たせていました。右岸側に設けられていた展望広場では、完成間近の、水がまだ無いダムの様子を一目見ようと集まった人々を対象に、ダムの規模などを説明する催しが開かれていました。
八ッ場ダムは、利根川の支流である吾妻川に建設されたダムです。景勝地として知られる吾妻峡の上流部につくられ、水没する区間のJR線や国道などが移設された他、川原湯温泉も温泉街がダム湖の下に沈むことから高台に新たに引っ越すこととなるなど、それは地域に大きな変容をもたらしています。その建設にあたっては、このような大規模な影響があることが要因となって長らく建設反対の運動があったことや、政権交代に伴う一時的な建設凍結が起こったこともあって、その建設の経緯は全国的にもしばしば注目されることとなりました。主な建設の目的が治水であったことから、利根川流域に多くのダムが完成した後にあって、多額な公費を投入することの是非が大きくクローズアップされたことも、ダム建設の可否に影響していました。1952(昭和27)年に正式に発表された八ッ場ダムの建設計画は、曲折曲折を経て2015(平成27)年に工事が始まり、訪れたこの日は10月1日の試験湛水を目前に控えるまでに進捗していました。 展望広場に掲げられていたダムの諸元は、堤高116メートル、堤頂長290.8メートル、堤体積約100万立方メートル、総貯水容量1億750万立方メートルとのことでした。工事現場概要に使用されている写真は、まだダムの高さが半分程度のものであったので、それと比較しても、ダムの工事が最終版を迎えていることは容易に判断ができました。ダム湖の湖底となる谷底に目をやりますと、旧吾妻線の鉄橋がそのまま残されているのが見えています。展望広場を後にし、八ッ場大橋を渡った先にある八ッ場見放台からも、それらの遺構を確認することができました。吾妻川の左岸側を通過してきた同線は、現在の八ッ場ダムのある場所の先で川を渡って、川原湯温泉駅に達し、その後温泉街の手前で再び右岸側に渡っていました。それらの鉄橋や道路橋も、高台の展望所(八ッ場見放台)からは手に取るように俯瞰できます。八ッ場大橋の橋桁には赤色と青色の2つのラインが引かれていまして、それらはそれぞれ完成時のダムの高さと満水になったときの高さを表しているとのことでした。
訪問時はいまだ水はなく、ただ茫漠たる山間のダム工事現場の空虚な光景が広がるダムサイトを歩きます。工事車両が通る道路が峡谷内にある段差を越える様子が、そのまま河川が作り出した段丘地形をトレースしています。小さな流れのように見える吾妻川の本流に沿った部分のみ、緑豊かな木々が残暑の日射しを受けていまして、やがて湖底に沈む運命にある自然の哀愁を感じさせます。ダムの底となる川原湯温泉は、代替となる用地が造成されていまして、徐々に整えられつつある新しい温泉街の家並みも遠望できました。八ッ場大橋を再び渡り、自家用車を駐車した右岸側へ戻る前に、ダム建設に伴い平成18(2006)年に移設したという、川原畑諏訪神社を訪れました。真新しい清爽な雰囲気を醸す境内のすぐ下には、こちらも完成後程無い国道145号が貫通していまして、地域そのものが一新される地域の今を改めて実感しました。 八ッ場ダム周辺訪問後は、ダムの下流に残される吾妻峡を散策しました。吾妻峡トンネルを抜けた先を折れた場所にある十二沢パーキングにて車を止めて、渓谷に架かる猿橋へと進みます。川の片側からのみ刎ね木を突き出たせた「片刎橋」という形式の猿橋(2017(平成29)年復元)を渡り、木々に覆われた渓谷に沿った、国道の旧道脇の歩道を歩みます。紅葉の季節に向けて、だんだんと色あせているようにも見える緑色の木々の合間からは、時折瑠璃色にきらめく川の瀬を認めることができました。木々の間から望む空は抜けるような空色を呈していまして、初秋らしい透明感に満ち溢れていました。
渓谷沿いを歩いた先に、木々に隠れるようにして、八ッ場ダムの堤体が突然に現れました。「上毛かるた」の「や」の札で「耶馬渓しのぐ吾妻峡」と詠まれる景勝地は、その随一の佳景を残しながら、多目的ダムという現代の人工構築物と隣り合うという、新たな時代を迎えようとしていました。この訪問の約半月後、各地に未曽有の大災害をもたらした台風19号によって満水になるという出来事があったことも記憶に新しいところです。治水や利水、そして地域の変化を今後も注視していければと思います。 |
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