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シリーズ京都を歩く
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10.洛中洛外・桜花雅散 〜2010年京都桜遊歩〜 |
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第二十九段 郊外の桜を歩く 〜桜咲く寺社の風景〜 2010年4月11日は、前日の京都市街地をめぐる散策に引き続き、京都市郊外に位置する醍醐寺と石清水八幡宮を訪れました。醍醐については、2007年7月14日の山科から醍醐へかけて踏破して以来の再訪となります。醍醐の地域性や醍醐寺の概要については拙稿「醍醐散策」にて触れております。醍醐駅前のちょっとした商業集積エリアを出て、雨雲に煙る醍醐山の稜線の下、戸建て住宅やマンションなどが多い中にあっても農村的な雰囲気も残す地域を歩き、松並木が変わらぬ風雅を漂わせる門前へとたどり着きました。 前日午後より雲が増えて下り坂に向かっていたこの日はほとんど太陽は顔をのぞかせず、時折小雨の降る天候でした。秀吉による「醍醐の花見」で知られる桜の名所・醍醐寺の大伽藍を歩きながら、鈍色の空にたゆたうように風にそよぐ桜を目に焼き付けました。ソメイヨシノを始め、境内にはシダレザクラやオオシマザクラ、ヤマザクラなど多様な桜が植えられていて、それぞれにやさしい桜色を春風に溶け込ませていました。満開を過ぎようとしていたソメイヨシノは時折花弁をはっと散らせて春本番の極致を表現し、地面や池に桜色の絨毯や筏をふんだんに届けていました。
874(貞観16)年に聖宝(しょうぼう)が上醍醐の山頂に草庵を結んでからその歴史が始まった醍醐寺は、国宝の金堂をはじめとした多くの重要文化財を擁しています。とりわけ、空に向かって屹立する九輪の装飾が荘厳さを感じさせる五重塔は高さ約47メートルを誇り、952(天暦6)年の竣工という来歴を持ちます。やはり国宝に指定される塔は創建当初から継続する唯一かつ京都市内最古の建造物であるとのことです。桜の裾模様から凛として建つ五重塔は、1000年の時を刻みながら、いつものように過ぎゆく春を静かに見守っているように思えました。 花曇りの空に向かい、散りゆく桜花と芽吹き始めた若葉とが織り成す調和は実にのびやかに、そしてつつましやかに初夏へのプレリュードを奏でているかのようでした。春のあたたかな空気が運んできた曇り空の一時のインタヴァルの中に、高度経済成長期以降において宅地化と拠点的開発が急速に進行しながらも、京における緑豊かな辺境としての地域色が鮮やかに印象づけられているかのようにも感じました。
醍醐を後にして、淀川中流域の男山山上に鎮座する石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)へと向かいました。男山は、京都府南部を貫流する桂川・木津川・宇治川(淀川)の三川が合流する地点の南にある小高い丘陵です。北に位置する天王山との間にはJRと京阪・阪急の計4路線、名神高速、国道171号(旧西国街道をほぼ踏襲する道)が走り、この地域が古来より現代に至るまで一貫して交通の要衝であったことが窺えます。淀川はまた、陸上交通が物流の主役となるまでは重要な水運ルートでもありました。新緑の季節若葉が目に鮮やかな山を、ケーブルカーによって軽やかに上がります。 石清水八幡宮の創建は859(貞観元)年。平安京から見て南西の裏鬼門の位置にある八幡宮は、鬼門に鎮座する延暦寺とともに都を守護する神社として重要視されてきた由緒を持ちます。「やわたのはちまんさん」の名で親しまれる八幡宮は、山麓が開発され住宅団地が卓越する景観となってもなお、自然に溢れる男山の頂に壮麗な社殿を構えています。ソメイヨシノは落花盛んで春の柔らかな花弁の波を森にまとわせて、地面に屈託のない輝きを見せるスミレやタンポポの花の上に降り積もっていました。
山上からは、三川が合流するたおやかな風景を眺望しました。宇治川と木津川の間の堤防(背割堤)はソメイヨシノの並木が植えられており、川に沿った桜色の帯となって風景にいっそうのあたたかさを加えていました。洪水防止のために木津川が付け替えられた際に建設された背割堤は、水と戦ってきた地域の歴史を静かに伝えていました。エジソンが白熱電球の改良のために当社境内の竹を使用したという史実もまた伝えられる男山の竹林が運ぶ薫風を浴びながら、随筆「徒然草」にも登場する高良神社等を経由し、八幡市駅へと戻りました。 |
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