Japan Regional Explorerトップ > 地域文・近畿地方 > シリーズ京都を歩く・目次
シリーズ京都を歩く
←第三十六段のページへ |
第三十八段のページへ→ |
||||||||||||||||||
14.続・洛中散歩 |
|||||||||||||||||||
第三十七段 春の京都、繁華街を行く ~現代と歴史のあわいを歩く~ 2014年3月8日、仲春の穏やかな晴天の京都駅前を早朝に出発しました。京都駅の現代的なファサードは、雲一つない朝のクリアな空にやわらかに向かい合い、京都タワーはそのシャープな躯体をいっぱいに伸ばしていました。高層ビルの谷間を進む烏丸通をたどり、東本願寺へ。広大な境内に堂々たる威容を見せる木造建築は御影堂(ごえいどう)。阿弥陀堂と並び立つその堂宇は世界最大級の木造建築とされます。正式には真宗本廟(しんしゅうほんびょう)で、西本願寺と区別するために、東本願寺の通称で呼ばれます。築地塀に囲まれた広い境内の門前はたっぷりと空間が確保されていまして、烏丸通もこの区間だけは東側に張り出しています。烏丸通をさらに北へ歩き、国道1号として交通量の多い五条通を東へ、東山の山並みを遠くに見ながら、鴨川に架かる五条大橋へと進みました。京都盆地の東縁をゆったりっと流れる鴨川は、春の朝日を浴びてとても雅やかな風合いを水面に宿していました。五条大橋は牛若丸と弁慶とが出会った逸話で知られます。このエピソードを象徴する増が立てられていまして、訪れる人を平安の世へといざなっています。
五条通から堺町通を上がり、2004年12月にも訪問した「鉄輪(かなわ)の井戸」を確認しながら、町屋と現代建築とが交錯する路地を進みます。その町屋の前の一隅に、格子に囲まれて「夕顔之墳」と刻まれた石碑を見つけました。源氏物語に登場する「夕顔」が暮らした場所と比定し建てられたといいます。周辺の町名も「夕顔町」となっていまして、個性豊かな通り名や町屋の風景などともに、多くの史実の中で悠久の時間を経た街並みの重厚さを感じさせます。通はやがて道幅が広く一定の車の通りがある高辻通に突き当たりました。この道路東へ歩き、河原町通りを北へ辿って、京都随一の繁華街である四条河原町へと至りました。鴨川を挟み東は祇園から、西は烏丸通辺りまで、この交差点を中心に展開する京都第一の繁華な街並みを眺めた後は、四条大橋の西詰から北へ入り、先斗町の花街の石畳の路地を進みます。西側の木屋町通へ、建物のトンネルをくぐるような路地もあって、置屋や飲食店が軒を連ねる異種独特な風景が目を引きます。 高瀬川に寄り添うような木屋町通を越えて河原町通りを横断し、アーケード街として多くの商店が集積する新京極へ。京の台所として様々な食材が店先に並ぶ錦市場へとその喧騒は続く、一大観光エリアです。錦の天神さんとして崇敬を集める錦天満宮の鳥居は、笠木の両端がビルにめり込むような形となっています。これは土地区画を決定する際の設計ミスによるものとされているようで、市街化が急速に進んだ当地を象徴しているとも考えられました。新京極通の西には寺町通が並走しているとおり、元来この地域は寺院の集まる場所で、現在でも多くの寺院が存在しています。新京極は明治初期における京都市街地の復興策として、こうした寺院の参道を貫くように新たに割り出された歓楽街です。こうした現代の街並みと寺町としての風情が交錯する街角の雰囲気を浸りながら、東海道五十三次の西の起点として多くの人々が行き交った三条大橋へ。四条河原町から続く商店街はこの付近まで一体的な繁華街を形成していまして、古都の歴史ある中心市街地の地力を感じさせました。
京都市内でも最も広幅員となる区間を含み、シンボルロードとして整備された御池通は、平安京における「三条坊門小路」にあたる狭い通りであったものを、第二次世界大戦中の建物疎開で広げられた道幅を生かし、都市計画道路として活用された経緯を持つ幹線道路です。御池通を横断し、さらに木屋町通に沿って高瀬川を遡りますと、「一之船入」と呼ばれる入江状の水路が設けられているのが分かります。高瀬川は江戸時代初期に、京と伏見とを結ぶ運河として掘削されました。一之舟入は、荷物の積み下ろしや船の方向を転換を行うために使われ、かつて高瀬川には9か所つくられましたが、この「一之船入」を残して埋め立てられているのだそうです。 御池通に戻り、ゆったりとした歩行スペースの確保された街路を西へ進みます。通りに面して建つ市庁舎は、西洋的な特徴を持ちながら東洋的な意匠が随所に織り込まれた様式美が光る建物です。広い道路は沿線に多くの高層建築物が立ち並んで、四条河原町周辺とはまた違った、現代都市としての京都を演出しています。柳馬場通を北へ入り、1901(明治34)年完成の、日本ハリストス正教会の中では本格的なものとしては日本最古ともいわれる、京都ハリストス正教会・生神女福音聖堂へ。ロシア・ビザンチン様式の秀麗な聖堂は、春の柔らかな日差しをしなやかに受け止めていました。
市街地を東西に貫く御池通をさらに西進しますと、堀川通沿いの二条城の南へと到着します。神泉苑は、平安京大内裏に接して造営された禁苑で、当時存在していた池沢を利用してつくられた大庭園であったといわれています。一説には、御池通はこの神泉苑の池に通じていたことから江戸中期頃にその名が付いたともいわれているようです。付近には1670(寛文10)年建築陣屋建築として重要文化財の指定を受ける二城陣屋の建物も残ります。 二条城近くでレンタサイクルを調達し、梅が見ごろを迎えつつある北野天満宮方面へと進みました。 |
|||||||||||||||||||
←第三十六段のページへ |
第三十八段のページへ→ |
||||||||||||||||||
このページのトップへもどる シリーズ京都を歩く目次のページへもどる ホームページのトップへもどる |
|||||||||||||||||||
(C)YSK(Y.Takada)2003-2017 Ryomo Region,JAPAN |