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シリーズ京都を歩く
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14.続・洛中散歩 |
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第三十八段 洛中西郊の街並みをめぐる ~梅香ただよう風景~ 二条城前に到達後、その後の予定も勘案し時間短縮を図るため、移動手段をレンタサイクルに切り替え、堀川通を北上、中立売通を西進し、歩道上がアーケード街となっている北野商店街の賑わいを垣間見ながら、北野天満宮の門前へと至りました。今出川通に正対する大鳥居は、変わらず松並木の中にあって行き交う人々を見守っていました。
北野天満宮は梅の名所として知られます。境内には菅原道真ゆかりの梅約50種1.500本が植えられていまして、梅苑は2月初旬から3月下旬まで一般に開放されて、美しい梅の花を観賞することができます。参道に植栽された梅の花に誘われるように楼門をくぐり、回廊に囲まれた本殿へ。学問の神様として多くの崇敬を集める「天神さん」には、この日も多くの参詣客が訪れていまして、境内は多くの人波で溢れていました。仲春を落ち着いた雰囲気で彩る梅の花はどこまでも清楚で、気品ある紅白の色合いを春の空に放って、香しい風合いをいっぱいにたなびかせているようでした。 梅苑でも、つつましやかに紅白の花弁を色づかせる梅の花弁の雅な風景を楽しみました。開苑期間は入場料を負担すれば、お茶とお菓子をいただきながら、梅を観賞することができます。小さな白い花びらをつける花、うすい紅色の花をしなやかな枝にいっぱいにつけて春風に身をまかせる枝垂梅、はっとさせるような緋色の彩色でアクセントを与える梅などが苑内一帯に春の風情を表出していました。どこまでもあでやかで、情趣に溢れる景色を堪能しました。
初めての北野天満宮の梅苑鑑賞を終えた後は、さらに自転車を走らせて洛中の西郊の地域をめぐりました。北野白梅町から西大路を南下し、円町を経て西大路三条交差点を右折、嵐電と呼ばれる京福電気鉄道と併用軌道となっている三条通を西へ走ります。行政区も中京区から右京区へと入って、宅地や商業地が続く間にも所々に畑が認められるなど、徐々に郊外地域としての景観が顕著になっていきます。京都における伝統的な中心都市域を指す概念として「洛中」があります。この範囲には様々なとらえ方があって一筋縄ではいかない面が多分にありますが、しばしば引用される線引きの一つに、豊臣秀吉が京を囲むように建設した「御土居」の内側が洛中であるというものがあると思います。先に訪れた北野天満宮の境内にはこの御土居の数少ない遺構が残されていることは本稿でもたびたびご紹介してきました。また、近代では市街を縦横に走った市電の走る範囲、すなわちこのエリアでは西大路通が洛中の境とみなされる素地もあったといわれます。西大路からだんだんと郊外的な土地利用が見られるようになる光景を目にしながら、京都におけるそうした地域区分の妥当性などもふと頭に過りました。 天神川三条を過ぎ、地下鉄東西線との接続駅ともなっている嵐電天神川駅前を越えますと、「蚕ノ社駅」の駅名にも見える蚕ノ社(かいこのやしろ)へと進みました。蚕ノ社は通称で、正しくは「木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)」といいます。この神社がある嵯峨野の一帯は、太秦の地名にも見えるように、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶や養蚕、土木事業などに優れた技術を持っていた秦氏のテリトリーでした。本殿の東側には織物の祖神を祀る許蚕養(こかい)神社があって、これが「蚕ノ社」の名の由来となっているのだそうです。本殿西には湧水があって、3本の柱がある石製三柱鳥居が建ちます。近傍には、この秦氏の氏寺として建立された、京都最古の寺院として知られる広隆寺があります。楼門の前を併用軌道を走る路面電車が走る風景は、古代から現代までとてつもなく長い時間を大都市として過ごした京都の凄みを濃縮したもののように感じられました。
広隆寺を後にして、三条通をさらに西へ、嵐電の鉄路に沿って進みますと、有栖川駅の南の付近で「千代の古道」と刻まれた石碑を見つけました。千代の古道は、大覚寺付近をご紹介した時にも触れましたが、都から大沢池や広沢池などを経て嵯峨野へ至る小路を指すもので、平安期に規則が遊行のために辿った道を象徴的に示す言葉であるとされています。千代の古道の石碑を頼りに、府道133号の指定を受ける狭い道路を南へ入りました。大沢池の近くから流下する有栖川の流域には広く田畑が残されており、小倉山方面への眺望も利いて、古来の自然豊かであったであろう嵯峨野の原風景を幾ばくか彷彿とさせました。また、有栖川を渡った先には、昔ながらの町屋や蔵が多く残る集落がありまして、美しい生垣が連続する佇まいも重なって、京都郊外における伝統的な集落景観の姿を垣間見た気がいたしました。 四条通に近づくにつれて現代の住宅の密度が増えてきた中、奈良時代に活躍した橘氏の氏寺としての来歴を持つ梅宮大社(うめのみやたいしゃ)へ。花の名所として知られる当社においても梅が見ごろを迎えていまして、香しい彷徨を漂わせていました。その後は四条通を東へ戻り、新選組が剣術や馬術の鍛錬をした場所として知られる壬生寺を訪問しながら、自転車を借りた二条城へと戻りました。洛中から嵯峨野へ向かう地域を概観しながら、近代都市としてたゆみない成長を遂げた京都市街地郊外エリアの中にあっても、随所に残る歴史を物語る風景に、この町の懐の深さを感じさせました。 |
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