Japan Regional Explorerトップ > 地域文・近畿地方 > シリーズ京都を歩く・目次
シリーズ京都を歩く
←第三十九段のページへ |
第四十一段のページへ→ |
||||||||||||||||||
15.暗夜の絢爛、層巒の雅致 ~2014年京都紅葉選集~ |
|||||||||||||||||||
第四十段 三尾の層巒をゆく ~高雄・槇尾・栂尾の雅致~ 2014年11月23日、午前10時少し前の京都駅ビルは清々しい快晴の空に照らされていました。駅前からJRバスに乗り込み、およそ50分。右京区の山間に位置する三尾(さんび)へと向かいました。三尾とは、桂川水系の支流清滝川が刻む谷間にある高雄(高尾)、槙尾、栂尾の三地区を総称した呼び名です。市街地を縦断し、宇多野から山に分け入って、徐々に高度を増しながらバスは進んでいきます。やがて、車窓の風景は、急峻な斜面に集落が張り付く景観へと移り変わっていました。この道筋(国道162号)は周山街道と呼ばれ、右京区京北周山地区を経由して若狭地方へとつながる街道筋にあたります。
南を除く三方を山々に囲まれた京都盆地は、それらが形づくるなめらかな山のシルエットをさながら借景にしたような美しさがあります。春のかすむようなスカイライン、夏の滾るような空気にゆらめく青垣、秋の錦を装う尾根、冬のかすかに雪を纏う稜線、それぞれが京都の四季を豊かに表現しているように思います。三尾はそうした山々を越えた山里です。京都の街の喧騒から遠く離れた幽谷の地は、仏道に励む霊域として開かれることとなりました。栂尾には高山寺、槙尾には西明寺、そして高雄には神護寺と、自然豊かな谷筋に名刹が並び立ちます。三尾でも再奥に位置する栂ノ尾バス停で下車し、駐車場脇の裏参道を上がって高山寺境内へと進みました。 高山寺は1994(平成6)年に「古都京都の文化財」のひとつとして世界文化遺産に登録されています。774(宝亀5)年、光仁天皇の勅願により開創されたとされ、1206(建永元)年に後鳥羽上皇の院宣により明恵(みょうえ)上人が華厳宗復興の道場として再興、寺名を高山寺としたとされています。見事に色づいたカエデの天蓋の下、つづら折りの参道を進み、国宝指定を受ける石水院(せきすいいん)を取り囲む白壁に沿って歩きます。石水院は明恵上人が後鳥羽上皇より学問所として託された建物です。簡素ながらも住宅建築としての機能性に優れ、また気品に満ちた結構は、栂尾の山々に抱かれながら紅葉の木々に抱かれて、この上のない美しさの中にありました。楞伽山(りょうがせん)へ連なる斜面に展開する金堂や開山堂といった堂宇を訪ね、日本最古とする茶園を一瞥し、表参道を下って境内の静寂をかみしめました。高山寺はまた、国宝「鳥獣人物戯画」など多くの重要な文化財を所蔵することでも知られます。
高山寺からは清滝川に寄り添うような国道を辿り、橋を越えて槙尾へと続く細い道を進みます。木々が穏やかに色づき、ムラサキシキブのかわいらしい実が迎える中、朱塗りの橋(指月橋)で再び清滝川を渡りますと、西明寺へと続く石段へと導かれます。指月橋(しげつきょう)からは、カエデの色彩が渓谷をしなやかに縁取る様子を美しく眺望することができます。西明寺は天長年間(824~834年)に弘法大師(空海)の弟子智泉(ちせん)が神護寺の別院として開創したと伝えられます。和泉国槙尾自性(じしょう)上人が健治年間(1275~1278年)に中興した後、1290(正応3)年に後宇多天皇より寺名を賜り、神護寺から独立しました。 桂昌院寄進と伝えられる本堂は三尾の山々に包まれるように在って、まさに見頃を迎えた紅葉を慎ましく見送っているようなたおやかさを感じさせました。山に下りる初冬の日の光はやさしいスポットライトを木々に与えていて、明るく透かされた葉や、影にあって冬の態様を表現する葉、清らかな瀬に冷たさを吹き込まれるような葉など、実に多様な輝度と濃度を、紅葉の赤に込めていました。新緑に萌え、紅葉で極致を迎えるいのちのきらめきを存分に噛みしめながら、清滝川のせせらぎを目に耳に感じながら、河畔の府道を高雄方面へと歩きました。
高雄橋で三度清滝川を越えて、長い石段を上っていきますと、神護寺の楼門へと至ります。神護寺は和気清麻呂がこの山紫水明のこの地に高雄山寺を建立し、824(天長元)年にやはり和気清麻呂が国家安泰のために建てた神願寺と合併、神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)と改めたことに始まります。神護寺には最澄や空海も入山しており、平安仏教の中心のひとつとして存立しました。境内は高雄山の山肌に造営されていまして、書院の前を通り、五大堂と毘沙門堂を一瞥しながら石段を登りますと、金堂へと行き着きます。境内の西にある地蔵院前からは、眼下の清滝川の谷に向かって厄除けの「かわらけ投げ」を行いました。伽藍が展開する山懐もまた、すばらしい紅葉の連続で、秋が深まり初冬へ装いを変える層巒の雅致を味わうことができました。 古来より修行の場として開かれた三尾の山並みは、紅葉の名所として多くの人々の心を癒やしています。清冽な清滝川の流れと、深い谷間を刻みながらもどこかなめらかな印象を当てる山々、若狭と京とを結ぶ重要な交通路としても機能してきた歴史などもあいまって、錦に彩られた風景は、この上ないグラデーションを眼前に完成させていました。 |
|||||||||||||||||||
←第三十九段のページへ |
第四十一段のページへ→ |
||||||||||||||||||
このページのトップへもどる シリーズ京都を歩く目次のページへもどる ホームページのトップへもどる |
|||||||||||||||||||
(C)YSK(Y.Takada)2003-2017 Ryomo Region,JAPAN |