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シリーズ京都を歩く
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19.冬紅葉、かつ結びかつ散る ~2018年、12月の京都をゆく~ |
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第五十段 金閣・銀閣と東山の風趣 鹿苑寺は、初冬の緩やかな日射しを浴びて、参道を覆うような赤い紅葉の灯火を受けてきらめいているようでした、総門をくぐり、カエデの紅葉に包まれるようにしてある鐘楼を右に、拝観口のある唐門横から、鏡湖池を中心に整えられた鹿苑寺庭園へ。金閣として知られる舎利殿を穏やかに映す水面はまさに鏡のごとくなめらかに冬の日を受け止めていました。背後には「五山の送り火」で「左大文字」を灯す大文字山をはじめとした北山の山並みが借景となって、北山文化の代表的建築である舎利殿にいっそうの華やぎを与えていました。
常緑の木々の間に巧みに配された紅葉がつくる庭園美を拝観しながら、散策路は背後の丘陵を上るように巡らされます。足利義満遺愛の盆栽を帆掛け船の形に仕立てたとされる「陸舟の松」を一瞥しながら、やはり義満にゆかりのある銀河泉、巌下水の湧水を経て金閣寺垣と呼ばれる竹垣のある石段(虎渓橋)へ。安民沢と呼ばれる池の先には、夕佳亭と呼ばれる草庵があります。高台からは、境内の緑の海の向こうに、金閣が浮かび上がるような風景を観賞することができました。鹿苑寺の拝観後は、正面に左大文字を望む西大路通を南へ進み、「わら天神宮」の通称で知られる敷地神社へ。北山神を神格化し祀っていた場所に、この地に移住した加賀の人々が崇敬した菅生石部神社が合祀、現在地に遷座したものであるといわれています。桜の名所として知られる平野神社の境内を経て、御土居が残る北野天満宮へと歩を進めました。紅葉の時季に開苑される「史跡御土居のもみじ苑」は、この年も至高の色彩に包まれていました。 北野天満宮前からは、今出川通を東へ進む市バスを利用し、銀閣寺道バス停へ。哲学の道へと連なる疎水沿いの道路を歩きながら、東山文化を象徴する建物の一つとして著名な慈照寺へと向かいます。足利義政が金閣舎利殿を模して造影したと伝えられる観音殿は「銀閣」としてあまりに有名です。哲学の道沿いの風景と東山の山並みが重なる風景の中ゆるやかな坂道を進みますと、慈照寺の門前へと誘われます。銀閣寺垣と呼ぶ美しい生け垣の道を歩きますと、特色ある造形を持つ2つの砂盛(銀沙灘」(ぎんしゃだん)と「向月台」)を擁する庭園に、観音殿(銀閣)が望む美しい庭園が目に入りました。銀閣も金閣と同様に庭園や堂宇を見下ろす高所へと散策路が延びていまして、緑に覆われた境内の建物や庭園を眼下に見ながら、背後の吉田やかの丘陵と、間に展開する町並みとを美しく眺望することができます。随所に植栽されている紅葉も、赤や橙色に豊かに染まっていまして、初冬の冷たい空気をより凛としたものにしていました。吉田山のさらに向こうに霞むような山並みは衣笠山であったのでしょうか。
慈照寺訪問に続き、東山の山裾を穏やかになぞる哲学の道を散策します。東山の流麗なみずみずしい木々と、疎水の穏やかな流れとが織りなす風景は、訪れる度に新鮮な感傷を胸に呼び起こさせます。ここ数年は初冬の時季であることが多く、冬ざれたカエデの態様と、常緑の木々、それらをさりげなく彩るサザンカや南天の実などがつくる情景が、東に望む家並みの静かさも相まって、とても鮮やかに、そして伸びやかに目に入っていきます。昨年も訪れた真正極楽寺(真如堂)も紅葉は、まさに最盛期を迎えていまして、徐々に光量を失う夕方の冬空に映えました。紅葉と冬の夕空とがつくるあでやかな冬絵巻に、五重塔のシルエットが見事に折り重なって、シルクの布のようなたなびく雲がぼっと光る大空をこの上のない美観へと昇華させていました。 哲学の道へと再び戻り、東山の山並みに埋もれるような、大豊神社の境内へと進みます。887(仁和3)年、宇多天皇の病気平癒のために尚侍藤原淑子が勅命を報じた勅願社であると伝えられ、創建後は鹿ヶ谷、法然院、南禅寺一帯における産土神として崇敬を受けています。穏やかな木々に接しながら、静かに水を湛えるような疎水は、紅葉の錦を存分に水面に反射させていまして、夕日の橙色との間に、繊細な対照を見せていました。光雲寺あたりの、寺院の甍と夕景とが美しく共鳴する風景などを探勝しながら、哲学の道の散策を進めていきますと、冬の日光はさらにそのやさしさを増してきて、それとともに徐々に空気もその冷たさを加えていきました。若王子神社前から坂道を下り、永観堂(禅林寺)へと歩きます。
「秋はもみじの永観堂」のフレーズで知られる永観堂の境内も、紅葉がまさに絶頂を迎えていました。拝観者の数もかなりのもので、参道の、駐車場へのアプローチを兼ねる部分を観光バスがひっきりなしに往来していました。午後5時30分から始まる夜間拝観を待つ行列にならびながら、通常拝観へと向かう人の波をしばし見送りました。辺りはみるみるうちに黄昏から宵のうちへと推移して、鮮烈な赤みを帯びた境内にいっせいに明かりが灯りました。 |
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