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シリーズ京都を歩く
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22.京都、緋色の初冬 ~綾錦の見事、仏宇の端正~ |
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第五十八段 東山山麓、暄冬の情景 ~清水寺から北へ、冬めく景色をめぐる~ 2020年12月7日は、夜行高速バスで到着した早朝の京都駅の八条口は、凜とした快晴の空の下にありました。この日投宿予定のホテルに荷物を預けた後で駅前に戻り、バスで五条坂へ。朝から交通量の多い五条通(国道1号)の喧噪を横目に、清水寺へと登る五条坂へ。五条坂から斜め右に分かれる茶碗坂へ進むのが、私のとってのここ数年の清水寺への参詣路になっています。清水焼を売る店や陶芸家などが集まることからその名のある坂の家並の向こうには、東山の山並みを背景に清水寺の三重塔が見えています。
仁王門への石段を登り、三重塔の脇を過ぎ、清水の舞台で知られる本堂へ進むルートは、京都における観光の目玉中の目玉として、国内外問わず、京都を訪れる数え切れない人々が辿る道筋です。清水寺は通年午前6時から開門しており、朝早くからも参詣者が訪れています。東山山麓の境内は朝陽が山並みに遮られるため空は明るいながらも心持ち薄暗い舞台は、12年にも及ぶ大改修が終わって間もないタイミングでの訪問であったため、手すりも真新しくなっていました。境内いっぱいに広がる木々は鮮やかに色づいていまして、まだ影のある東山の木々の向こうに、日差しが既に届いている京都市街地が輝かしく広がっていました。大修理の終わった本堂も、初冬を迎え徐々に葉を落とす東山の山並みを前に、厳かな佇まいを見せていました。 次第に朝日が昇るなか、鮮やかに色づく境内を歩きながら、人気の少ない清水坂へ。三年坂(産寧坂)へと進む道筋も、例年であれば一大観光地として多くの人々で混み合う場所ながら、全くといってよいほど人影がなくて、石段と石畳の両側に昔ながらの町並みが続く、この界隈本来の歴史的景観を味わうことができました。シンボル的なランドマークである八坂の塔も、冬の穏やかな青空にくっきりとしたシルエットを見せていました。東山へ向かって緩やかな傾斜のある家並は、寺院や木造の建物が隣り合う、京都中心部の入り組んだ路地と町屋のある景観とはまた違った、いわゆる一般的な京都におけるパブリックイメージに近い風景であるように思います。八坂の塔のたもとからこのしなやかな町並みを一瞥しながら再び坂を上がって、北へ分岐する二年坂へと歩を進めました。
このエリアを南北に貫通する東大路通を跨いで、安井金比羅宮を参詣した後、石塀小路を辿りながら、祇園・八坂神社境内へ。東大路通は市電を通すために拡幅整備された大通りですが、現代の自動車がひっきりなしに通過する風景を眺めていますと、この中央二車線を路面電車が通っていた時代があると思うと、どこか信じられない気持ちになります。鴨川から四条通を通り祇園を進むと、八坂神社前の祇園交差点までの一帯は京都を代表する花街・歓楽街で、八坂神社の楼門前ぎりぎりまで都市の風景が広がります。神社の境内へ進むと風景は打って変わってクスノキやカエデなどが繁る杜の只中となり、祇園祭を挙行する神社の壮麗な社殿が建ち並びます。境内を抜けると円山公園へと出ることができまして、東山のたおやかな山並みは冬の日差しを浴びて、常緑の木々の色の中にわずかに鶸色を忍ばせて、初冬の風情を演出していました。 1621(元和7)年、徳川秀忠寄進と伝わる国宝の三門が壮大な印象を与える知恩院を参詣します。同じく国宝の御影堂もシンプルながらも壮麗な結構に、質実な風合いがにじみ出ているように感じられます。ここまでの訪問全体を通してですが、やはりコロナ禍を経た京都は人通りが本当に少なくて、その影響もあってそれぞれの場所がそれぞれの本来の姿を探勝することができるように思われました。知恩院の北には、門前にこの寺で出家した親鸞聖人のお手植えと伝わる巨大なクスノキがみずみずしい葉をひろげる青蓮院門跡へ。東山の山並みを構成する粟田山の山麓を利用した池泉回遊式庭園は、東山の緑を借景としたしなやかな空間でした。カエデも鮮やかに色づいていまして、散策路によって誘われる高台から見下ろす風景もまた見事でした。
青蓮院門跡の門前の通りは神宮通で、京都七口の一つである粟田口を経て、平安神宮へとつながります。1895(明治28)年に平安遷都1100年を記念して桓武天皇を祭神として創建されました。同社は同年開催の内国勧業博覧会の会場となった岡崎公園に隣接しています。国立近代美術館や京都市京セラ美術館をはじめとした文教施設があり、京都の近代化を推進した琵琶湖疎水もあるなど、平安神宮のある岡崎地域は、京都の近代化の足跡を感じることのできる場所であるように思いますね。その疎水に沿って東へ歩を進めますと、南禅寺の門前へと至ります。南禅寺を象徴する事物の一つである三門から法堂へ至る境内は、鮮烈に色づいた楓によって彩られていました。方丈庭園から如心庭と呼ばれる小方丈庭園、そして六道庭と続く庭の風情を味わいます。四季移り変わる自然の風景と、人間が設えた庭園の対比を目の前にしますと、悠久の時間を経て形作られた摂理の前には、人はただただ無力で、蒙昧な感情に揺さぶり続けられるだけの存在のように思えます。亀山天皇離宮の跡地であり、南禅院発祥の地でもある南禅院の庭園は、鎌倉時代末期の作庭で、より幽玄閑寂の趣を感じられる空間です。 南禅寺における、心に響く体幹を胸に残しながら、永観堂の前を経由し、岡崎エリアを歩きました。「くろ谷」の名で親しまれる金戒光明寺を参拝した後、紅葉の名所として知られるようになった真正極楽寺、通称・真如堂へ。三門から三重塔、本堂へ至る境内の紅葉はまさに見頃を迎えていまして、雲ひとつない、明るい冬空の下、極上のきらめきに満ちていました。 |
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