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シリーズ京都を歩く

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22.京都、緋色の初冬 ~綾錦の見事、仏宇の端正~
第五十九段 洛西、松尾から嵐山へ ~桂川に寄り添う、来迎の境地~

 2020年12月7日、早朝の清水寺から始まり東山山麓の寺院などを訪れていた私は、紅葉の名所である真如堂を参詣した後に寺院の東側を貫通する白川通でタクシーを拾い、この日の午後拝観を申し込んでいた西芳寺へと向かいました。西芳寺は一般に「苔寺」の名で知られます。世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産の一つである西芳寺は京都盆地の西、桂川を渡った西、嵐山から南へ連なる松尾山の西側に深く切り込む小流(西芳寺川)の谷口に位置しています。

西芳寺・庭園

西芳寺・庭園
(西京区松尾神ケ谷町、2020.12.7撮影)
西芳寺・庭園の苔

西芳寺・庭園の苔
(西京区松尾神ケ谷町、2020.12.7撮影)
西芳寺・庭園

西芳寺・庭園
(西京区松尾神ケ谷町、2020.12.7撮影)
西芳寺・庭園

西芳寺・苔に覆われた庭園
(西京区松尾神ケ谷町、2020.12.7撮影)
西芳寺・色づく庭園の風景

西芳寺・色づく庭園の風景
(西京区松尾神ケ谷町、2020.12.7撮影)
西芳寺・枯山水

西芳寺・枯山水の石庭
(西京区松尾神ケ谷町、2020.12.7撮影)

  京都においては、盆地の東の東山、北の北山と同じように、京都盆地の西、嵐山から南へ、行政的には京都市西京区から長岡京市にかけての京都盆地西縁の山塊のことを「西山」と呼んできました。西芳寺の西の山並みも広義における西山ではありますが、西山の呼称は現在の西京区大枝地区や大原野地区を中心としたエリアを主に指しているようですので、本稿においては京都の西側を意味する「洛西」の言葉を使いたいと思います。西芳寺は、別名の苔寺からも連想されるように、苔むした美しい庭で知られる禅寺です。その開山は行基で、奈良時代・聖武天皇の詔によるものと伝わります。その後、法然による浄土宗の寺としての中興を経て、室町時代に作庭の名手とされる夢窓国師が再建、禅の修行道場となりました。枯山水石組みの上段の庭と、池泉回遊式の下段の庭からなる庭園はつくられた当時から屈指の名園として知られたといいます。中でも枯山水の庭は西芳寺のものが日本初とされています。

 戦乱や洪水などで幾度なく荒廃し、再興してきた歴史を持つ西芳寺は、戦後の観光ブームで庭園が痛むことなどを考慮し、現在は事前申込かつ写経による宗教行事への参加が参詣の条件となっています。1969(昭和44)年再建の本堂(西来堂)にて写経をし奉納させていただいた後、お庭の散策に赴きました。池泉回遊式庭園の下段の庭は、黄金池(心字池)を中心に一面苔むした庭が、ふんだんに植えられた木立の下に広がります。この日はカエデも豊かに色づいていまして、初冬の穏やかな日差しを受けていました。西芳寺に育つ苔は120種余りといわれています。冬のこの季節はやや色褪せた緑色を呈していましたが、荒廃から苔がここまで生育するまでの時間は100年以上を要したとのことで、苔はこの寺の衰微と再生の歴史を今に伝える事物でもあります。

西芳寺川の風景

西芳寺川の風景
(西京区松尾神ケ谷町、2020.12.7撮影)
地蔵院・門前の風景

地蔵院・門前の風景
(西京区山田北ノ町、2020.12.7撮影)
地蔵院・十六羅漢の庭

地蔵院・十六羅漢の庭
(西京区山田北ノ町、2020.12.7撮影)
浄住寺・門前の紅葉

浄住寺・門前の紅葉み
(西京区山田開キ町、2020.12.7撮影)
浄住寺

浄住寺
(西京区山田開キ町、2020.12.7撮影)
華厳寺(鈴虫寺)から京都市街地を望む

華厳寺(鈴虫寺)から京都市街地を望む
(西京区松室地家町、2020.12.7撮影)

 向上関と名づけられた小さな門を通り、上段の枯山水の庭へ。開山堂である指東庵の傍らには、枯山水の石組みが残り、そこにもみずみずしさそのままに苔が生えていまして、悠久の時間の経過と、禅寺として標榜する西芳寺の来歴を静かに語りかけているようでした。冬の日差しはただただ優しく枯山水の石組みに差し込んで、たおやかに時代の変遷を見つめているようでした。やわらかな冬のこの一日、自然を構成するものの一員として、生まれ絶える運命を担うにすぎないのだ、と自戒を込めて庭の修景を眺めていました。

 西芳寺の前を流れる西芳寺川は、古来より幾度となく氾濫をしてきたという来歴を持ちますが、冬のこの日はか細い山間の小流といった印象で、静かな歴史ある修行場に寄り添っているように感じられました。西芳寺を後にしてからは、松尾地区にある寺院などを訪ねました。西芳寺の南には、臨済禅宗の地蔵院が住宅地の前に接しながら佇みます。1367(貞治6)年に、室町幕府管領の細川頼之が宗鏡禅師を招き、夢窓国師を勧請開山として建立されました。一歩境内に足を踏み入れますと、洛西の原風景とも重なる、穏やかな竹林に心揺さぶられます。谷の地蔵の名とともに、竹の寺とも呼び習わされる所以でもあるその風景は、現代の大都市ともなっているこの町が、悠久の歴史の蓄積とともにあることを伝えてくれているようにも思えます。本堂北の方丈には、十六羅漢の庭と呼ばれる枯山水庭園があり、仏教の世界観を表現した静かな自然美に浸ることができました。地蔵院からさらに南へ住宅地の中を進みますと、黄檗宗の浄住寺。寺伝によると、810(大同5)年に嵯峨天皇の勅願寺として起こり、公卿の葉室家による中興や再興を経て現在に至ります。乱積みの石段の先には、鮮やかな紅葉に包まれた、慎ましやかな本堂が穏やかに営まれていました。

月読神社

月読神社
(西京区松室山添町、2020.12.7撮影)
松尾大社

松尾大社
(西京区嵐山宮町、2020.12.7撮影)
松尾大社・大鳥居

松尾大社・大鳥居と背後の山並み
(西京区嵐山宮ノ前町、2020.12.7撮影)
桂川と比叡山を望む風景

桂川と比叡山を望む風景
西京区嵐山東海道町付近、2020.12.7撮影)
嵐山の風景

嵐山の風景
(右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町、2020.12.7撮影)
渡月橋

渡月橋
(右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町、2020.12.7撮影)

 西芳寺の門前に戻り、小道を北へ入ってすぐの石段を登り詰めた先には、鈴虫寺の異名で知られる華厳寺があります。堂内には春夏秋冬飼育される鈴虫の音が響くためその名がある寺院です。創建は江戸中期、1723(享保8)年、鳳潭上人が華厳宗の寺として起こしました。現在は臨済宗を標榜する境内からは、京都盆地を一望することができました。洛西の山並みに沿って北へ、夕刻が迫る中を歩を進めます。月読神社は、延喜式に名神神社とされる神社で、壱岐島で海上の神として奉斉されてきました。京都盆地、中でも太秦周辺を本拠とした渡来系の秦氏との関わりも想定される古社は、千年の都として成長したこの町を穏やかに見つめているように感じられました。

 さらに松尾エリアの静かな住宅地を歩き、京都でも屈指の歴史を持つ神社のひとつである松尾大社(まつのおたいしゃ)へ。京都市中心部では屈指の繁華街も構成する四条通の西端に位置し、こちらも前述の秦氏が総氏神として崇敬した古社です。通りに面して建てられた朱塗りの大鳥居は、境内を貫通する水路を完成させるなど、この地域の開拓に多大な役割を果たした秦氏が拠った山並みに対する信仰の深さを思わせました。松尾大社を参詣後は、桂川のほとりの遊歩道に出て、嵐山まで歩きました。比叡山のピークも遠望できまして、初冬の清らかな鴇色の空がいっぱいに頭上に広がります。渡月橋から望む嵐山は、落葉を間近に控えた弁柄色の紅葉と、すでに葉を落とした枯木とがモザイク状にある風景で、冬本番の時節を間近に控えて、夕方の冷気にその身をただ浸していました。

※なお、執筆時現在では、西芳寺の上段の庭(枯山水)は通常非公開となっているようです。


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