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シリーズ京都を歩く

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22.京都、緋色の初冬 ~綾錦の見事、仏宇の端正~
第六十段 洛南から東福寺、そして東山へ ~夕闇の東山へ至る路傍~

 2020年12月8日、前日に引き続き滞在する京都は、雲ひとつない冬晴の朝となりました。投宿していた四条烏丸から地下鉄で京都駅へ、近鉄線に乗り換えて竹田駅へと向かいました。近鉄線の直上を通過する名神高速の高架に沿って西へと歩を進め、京都南インターチェンジのランプウェイをかすめながら歩きますと、方除の大社として知られる城南宮へと到達します。

城南宮

城南宮
(伏見区中島鳥羽離宮町、2020.12.8撮影)
城南宮・神苑「楽水苑」の風景

城南宮・神苑「楽水苑」の風景
(伏見区中島鳥羽離宮町、2020.12.8撮影)
墨染寺

墨染寺
(伏見区墨染町、2020.12.8撮影)
藤森神社

藤森神社
(伏見区深草鳥居崎町、2020.12.8撮影)
大和街道筋の景観

大和街道筋の景観
(伏見区深草藤森町付近、2020.12.8撮影)
真宗院

真宗院
( 伏見区深草真宗院山町、2020.12.8撮影)

  城南宮は、平安遷都の際、平安京(都城)の南の守護神として創建された歴史があります。平安時代後期には、白河上皇によりこの地に鳥羽離宮が造営され、城南宮もその一部となりました。幕末には、旧幕府軍と新政府軍の「鳥羽・伏見の戦い」の主戦場となった史実もあります。本殿を参詣した後、曲水の宴が行われる神苑「楽水苑」へ。春は枝垂れ梅と椿、秋は紅葉と、四季折々の美観を見せる庭園は、冬のこの日、色あせながらも若緑色を見せる苔の絨毯の上、色あせた葉をわずかに残す梅の裸木が、春を見据えて穏やかにゆるやかな日差しをその身に受けていました。

 城南宮の東に続く城南宮道に出て、竹田エリアを東へ歩きます。近鉄線を越え、墨染駅方面へと続く道程は、現代的な住宅地の趣です。そんな景観の中に、「近藤勇・遭難の地」と刻まれた石柱が有り、ここが近代における政変と深い関わりのある場所であることを思い知ります。墨染の地名の由来となった墨染寺(ぼくせんじ)にある墨染桜は、平安時代の公卿が喪に服するために桜の歌を詠んだところ、薄墨色に花が咲いたことに因むものとされます。墨染駅近くで京阪線を越えますと、大和街道を辿る直違橋通りに出ます。そこから北へ街道を辿ると、この地に平安遷都以前から存在する由緒を持つ藤森(ふじのもり)神社に辿り着きました。



嘉祥寺
(伏見区深草坊町、2020.12.8撮影)
瑞光寺

瑞光寺
(伏見区深草坊町、2020.12.8撮影)
石峯寺からの俯瞰風景

石峯寺からの俯瞰風景
(伏見区深草石峰寺山町、2020.12.8撮影)
伏見稲荷大社・千本鳥居

伏見稲荷大社・千本鳥居
(伏見区深草薮之内町、2020.12.8撮影)
東福寺・通天橋の紅葉

東福寺・通天橋を望む
(東山区本町15丁目、2020.12.8撮影)
東福寺・本坊(方丈)庭園

東福寺・本坊(方丈)庭園
(東山区本町15丁目、2020.12.8撮影)

 藤森神社は、深草の産土神として古くから信仰を受け、神功皇后をはじめとした多くの神々を奉祀しています。毎年5月5日に行われる例祭・藤森祭では、甲冑鎧に身を固めた武者が供奉し、境内で「駈馬(かけうま)行事」が行われます。そうした由緒から菖蒲の節句発祥の地ともされています。再び大和街道に出て、古い町屋造の建物の残る道筋を北へ辿ります。名神高速の高架をくぐり、程なくして東へ、ゆるやかに登る市道を進んで、深草エリアに点在する諸寺を巡っていきます。JR奈良線の鉄路を越えると、持明院統の歴代天皇の陵である深草北陵があり、その先に後深草天皇の帰依を受けて円空上人が建立した真宗院(しんじゅういん)。その西側、深草聖天の名で信仰を集める嘉祥寺は、850(嘉祥3)年に文徳天皇の創建と伝わります。参道には、日本最初の歓喜天と刻まれた石碑が有り目を引きます。さらに丘陵に開かれた畑地と宅地が混じりある風景の中を進むと、瑞光寺。茅葺の質素な佇まいの本堂が特徴です。1655(明暦元)年、元政上人がこの地に称心庵という庵を結んだのに始まることから、元政庵の異名も持ちます。さらに北へ歩を進め、石段を登り詰めた先には、竜宮造のの山門の石峯寺(せきほうじ)。境内からは、深草エリアの町並みを穏やかに一望することができました。

 洛南の鳥羽、深草エリアの寺院や神社を訪ねながら進んだ後は、この地域で最も多くの観光客を集めるスポットと目される、伏見稲荷大社へと行き着きました。一年を通して訪れる人々の足が途絶えることのない伏見稲荷もお参りさせていただき、神社の象徴でもある千本鳥居へ。一つひとつが、神社に奉納されたものです。その数と鳥居のつくるトンネルの長さに、神社への厚い信仰の歴史を実感します。京阪の伏見稲荷駅から二駅乗車しますと、やはり紅葉の名所としてこの季節たくさんの参詣客のある東福寺の最寄りの東福寺駅となります。点在する塔頭寺院の間を続く参道を歩きますと、紅葉に彩られる境内へと進む高揚感が高まるような気がします。境内を貫流する洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷に架かる橋からは、境内の通天橋と、一帯の鮮やかな紅葉とを眺めることができます。一部の木は葉を落としているものもありましたが、まだまだ緋色や朱色の葉を残す木も多くあって、東山の山麓に続く自然の美しさを映したようなしなやかさを、それは感じさせました。

泉涌寺・仏殿

泉涌寺・仏殿
(東山区泉涌寺山内町、2020.12.8撮影)
泉涌寺と東山の風景

泉涌寺と東山の風景
(東山区泉涌寺山内町、2020.12.8撮影)
来迎院

来迎院
(東山区泉涌寺山内町、2020.12.8撮影)
哲学の道の紅葉

哲学の道の紅葉
左京区内、2020.12.8撮影)
真如堂の紅葉

真正極楽寺(真如堂)の紅葉
(左京区浄土寺真如町、2020.12.8撮影)
吉田神社

吉田神社
(左京区吉田神楽岡町、2020.12.8撮影)

 東福寺では、通天橋から洗玉澗(せんぎょくかん)の美しい紅葉の木々の下を散策し、「方丈八相庭園」を観賞します。枯山水の石庭や市松模様に象られた庭など、趣の異なる風致を味わいます。東福寺の東、東山の月輪山の際には、皇室ともゆかりの深い泉涌寺が佇みます。交通量の多い東大路から一歩参道に入りますと、程なくして清浄な空気に包まれるようになり、心穏やかにお参りさせていただくことができました。重要文化財の仏殿をはじめ、東山の穏やかな山並みに溶け込むように並ぶ堂宇は、この地で営まれてきた信仰の歴史の神髄の一端であるように感じられます。塔頭寺院の来迎院や今熊野観音寺などを訪ねながら、古来から現代まで、京都の町を大きな錦絵として彩ってきた東山の風景を目に焼き付けました。

 東福寺から泉涌寺へと進んだ洛南・東山散歩の最後は、白川通今出川交差点から東へ、銀閣寺道を「進んだ先から始まるb哲学の道の散策へと移ります。このときの記憶が曖昧なのですが、おそらく東大路から四条河原町を経てこの場所まではバスで移動したものと考えていいます。桜や楓の紅葉と、随所にある山茶花の風情が美しい哲学の道を歩き、紅葉の美しい真如堂へ。そしてその西の吉田山へ、日が徐々に傾く中で初冬の京都の町並みを歩きました。吉田神社は、859(貞観元)年に、藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)が、平安京の鎮守社として創建したことが始まりとされます。平安京が築かれて以来の都市の歴史を持つ京都には、選と以前から命脈を保つ寺社も多く存在し、歴史的・文化的な京都の礎をより強固に、風雅に規定しています。コロナ禍で人出が例年より多くなく静かな訪問を続ける中で、この町のそうした奥行きをより濃厚に実感したような気がいたしました。


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